目に留まったニュース記事から(2月2日)

こんにちは、森のすず社会福祉士事務所です。
昨日のWebニュースと毎日新聞の紙面とWebサイトからですが、認知症カフェについての記事が掲載されていました。

認知症カフェって、いったことありますか?

姫路の「認知症カフェ」、半数が専門家不在 市が助成金見直しへ』毎日新聞 2020/02/01 12:42

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かいつまんで言うと・・・
姫路市内にあるとされる膨大な数の認知症カフェに、地域団体が実態調査をした。
すると、認知症に関する専門職等が配置されていないカフェが、回答を寄せた内の半数近くに及んでいた。
それ以前に、「活動内容として何もしていない」というようなところも2割あった。
姫路市内の、その多数のカフェの多くには、市役所から認知症カフェを運営するための補助金が出ている。
しかしこれも、会計報告などはなされていない。
ちなみに金額は、18年度で1744万円。
認知症カフェの設置については、マニュアルなどはない。
地域団体は、マニュアル作りなどを市へ提言する予定。
・・・という感じです。

 

記事の中でも紹介されていますが、姫路市には、271カ所の「認知症カフェ」が存在しているようです。
ここ3年ぐらいでどんどん増えました。
兵庫県内では511カ所らしいので、県内の過半数以上のカフェが姫路に存在していることになっています。

私は認知症の人と家族の会で、認知症カフェ連絡・研修会担当をさせていただき今年で3年目ですが、初年度から、兵庫県内の認知症カフェ数は姫路がダントツ!という状況でした。

なぜか。

一つは、地域の方が集まっている場(例えば体操や、サークル活動の場)を拡張し、認知症カフェを併設した形にしている場所が多いからだろうと思います。
既存の集会が、「認知症カフェ」として機能すれば、それほど、当事者にとって心強いことはありません。
『当事者にとって』と書きましたが、大半の人が認知症になるであろう昨今の事情を考えると、今現在、元気で通っている人たちの居場所が、そのまま、認知症になってもいられる場になる、という話です。
こう考えると、既存の場所に「認知症カフェ」の機能が備われば、とても便利です。安心です。

数が多い、というのは、私は福祉の事業を行う場合には良いことだと考えています。
なぜなら、選べるので。利用する側は、自分の好みに合わせて、選べることは大切です。
もし、認知症になったときに、認知症カフェが一カ所しかなかったら、選ぶ余地はありません。
徒歩圏内にたくさんあれば、自分が居心地がいいと思う場所を選んだり、月曜日はここ、火曜日はあちらと、あちこちに行って交流を楽しむなど、いろんな使い方ができます。

なので、もし、姫路市の取り組みが、始まった当初から今まで「認知症を理解して、みんなで考え、支えあえる場所づくり」のようなものを目指し実現化していたら、それは素晴らしい状態になったのではないかと思います。

 

しかし、認知症カフェの実態調査は、ニュースの記載をみるとどうやら 残念な雰囲気です。
活動していない、認知症サポーターもいない。
これだと、認知症カフェ一覧をみてきた人がもしもいるのなら、ガッカリすることでしょう。
そして、場合によると認知症への理解もなされず、辛い思いをすることにつながるかもしれません。
認知症サポーターがいない、福祉等専門職もいないということは、認知症についての理解や学びがなされていない可能性が否定できません。

また、ニュースの中では、公金が使われることについて、結局成果ももたらさず、それ以前に事業としての管理も行われていないことを重視しています。
『それは、税金から出ています』ということであるというのは、とても大切な話です。
税金からお金を出してもらって、運営費をもらえるのであれば、たくさんの団体が欲しいでしょうから。
地域で、あつまってお茶を飲むのに「私たちのは認知症カフェ」と言えば、数千円でももらえて、使い道が指定されないのであれば、それはおいしい話です。

 

認知症の人が暮らしやすい街に。認知症になってもいつまでも住み慣れた地域で暮らせるように。
認知症カフェは、もともとはヨーロッパで始まったものを、認知症専門医が日本へ紹介し展開されました。
その先生がおっしゃるには、認知症カフェの枠ぐみとして、専門職が居て相談ができることを挙げていらっしゃいます。

たしかに、認知症について気軽に相談できる場があり、それが活用できる世の中であれば暮らしいやすいでしょう。
もちろん、そうできるようになるには、認知症を理解する周囲の温かいまなざしが必須です。
「私が認知症だって知られたくない!」と思い、隠し続けようとしなければならないのであれば、認知症カフェに行きたいひとだっていないでしょうから。
オープンにすることが苦痛でもなく、恥ずかしいことでもなく、ごく当たり前に伝え、必要な情報や手助けがあり、やりたいことをやれる世の中になっていけたら良いと思います。

 

物理的に考えると、これからの高齢者人口の増加、認知症の人の増加、働く人の割合の低下、専門職の数にも限りがあり、認知症カフェの運営に携わろうとすると、やはり仕事の枠の中では制限も多い・・・いろいろと制約がある中で、専門職を必ず確保した認知症カフェの安定的な運営は、かなりハードルが高いように思います。
そして、「認知症カフェにきたら、認知症についての困りごとをはなさなければならない」という空気になってしまうと、それはそれで、あまり行きたくない場所になる気もします。

カフェなのですから、おいしい珈琲やお茶菓子があり、楽しい世間話があることは、「行く楽しみ」を見出すうえで大切。
その世間話の中で、「ちょっと、困ってるんよ」とか「最近、どうしたの?」というようなことに気づけば、『専門の人に相談してみたらええわ。連絡しといてあげるわね。一緒に相談にいきましょか』という流れでもいいとおもうんです。
むしろそういう流れが大切かな、と。

その為には、参加している人の中には、福祉や医療や認知症の専門家でなくても、『誰に相談したらいいか、その相談窓口につなげることができる』というスキルを持った人は必要に思います。

 

認知症の方をサポートするきっかけは、何も「物忘れがひどくてね」という話から始まるばかりではないでしょう。
ときに、妄想めいた被害の話からはじまるかもしれません。
ときに、年金の話と見せかけて、実は金銭管理がうまくできないはなしかもしれません。
また別の時には、単なる親子喧嘩で娘が疎遠だという話だとおもっていたら、どうもそういう簡単なものでもなく…ということもあるかもしれません。
住宅改修の話、訪問販売の話、介護保険の話、配偶者の体調のこと、運転免許の話、相続の話、料理の話、仕事の話、などなど、世間話の愚痴話や相談話は、いろんな形で始まります。
その中で、なにか「あれ?」と気になることがあれば、その話題が福祉や医療とは関係ないものでも、暮らしの相談として地域包括支援センターに相談してみようと声をかけるなど、「つなぐ」という作業がすごく大切に思います。

『認知症カフェ』であるか否かも大切ですが、認知症になっても暮らしやすい街づくりを目指すのであれば、街のなかの暮らしのいろんな場面で、困っている様子があれば、専門職(大抵はまず包括支援センターでしょうか)に繋ぐ、ということができるまちづくりが大切おもいます。

その機能があれば、その機能を担うために、公金が有意義に使われ、市内に膨大な数のカフェが曜日と時間をさまざまに開催されているのであれば、それはそれで、とてもいい地域だとおもいます。

みなさんの地域の認知症カフェは、いかがでしょうか。

ちなみに、私の野望は、いつかそのうち、なじみのカフェを作って、決まった日時には必ずそこに座り、お話相手が来たらお話をするような取り組みをしたいなぁと思います。
そのときに認知症であってもなくても、福祉的な課題がそのときにあってもなくても、集い、相談できる井戸端会議のような場があれば、いいとおもいませんか?