月別: 2019年8月

障害者福祉現場の虐待と通報

虐待を疑ったら通報・・・それは頭でわかっていても、行動につなげることは難しい。その難しさは何なのだろう?

虐待を受けたと思われる障害者を発見した場合の通報が義務付けられます
これは、厚労省が平成24年10月1日施行の障害者虐待防止法について、報道機関向けのWebページのタイトル。

施行から6年余り。
虐待の通報は増えていて、市町村が虐待だと認定する件数も増えている。
通報が増えたことは、虐待がそのままの増加の一途というのではなく、通報義務が周知され、それを行動に移す人が増えてきたから、というのは理由として大きいと思う。
一方で、事実としては、施設の中でも、過程でも、職場でも、虐待はまだまだ存在する、ということ。

私たちは、おそらく、「あれ、ヤバそうじゃない??」と思うような場面を見た時、それがよほど命にかかわる状態でもないかぎり、通報するという行動には高いハードルがあるように思う。

とくに、障害者虐待にしろ、高齢者にしろ、例えば施設の中で職員の振る舞いがダメなんじゃないか?と思っても、そのダメ具合がよほどのことでない限り、その場で「通報だ!」という判断にはなりにくいように思う。
家庭の中で、例えば、明らかに命や性や経済が脅かされる状態でない限り、家族との関係を考える思考が先に立ち、「通報だ!」という選択はなされにくい。

でも、法律は、障害者虐待と思われることを発見したら通報せよ!という。

施設の中のことを考えてみよう。
私はそこで働いていて、しかもそんなに職歴も長くなく、立場もいわゆるヒラだとしよう。
先輩が、荒っぽい対応をしていたり、利用者に「そんなにいわなくても・・・」と思うようなきつい口調で指示していたり、パニックに陥った利用者を大勢で抱え込んだり、冗談なのかいじめなのか分からないプロレスごっこをしているのを見た時、何ができるだろう?

瞬時にいろんなことを考えるはずだ。

その対応は利用者にはよくない。
それは虐待かもしれない。
でもそんなこと先輩にはいえない。
私はまだ未熟で職歴も浅い。
指摘したら、働きづらくなる。
今仕事をやめると、困るし、家族のためにもやめられない。
誰に言えばいいんだろう?
別の上司に言っても無駄だった
ケースカンファをしても、形式だけで意味がない
通報か?通報したら、どうなるんだろう?
大勢、調べる人がやってきて、自分だとバレるのだろうか?
それは困るな。
でも、このまま見て見ぬふりはつらい。
なんのために、この仕事をしているんだろう。
利用者さんの力になりたいとおもったのに・・・

先の厚労省のWebには、こんなことが書いてある。

このような通報義務や通報・届出の窓口を広く周知することが、障害者虐待の早期発見・早期対応に有効です。

なぜ、法律は、通報を義務にしたのか?
しかも、その通報は、虐待を疑うレベルで通報しなさい、と言っているわけで、虐待の判定をしてクロなら通報しろと言っているのではない。

その狙いは、「早期の、危うげな、まだ芽が小さい状態で通報し、対応していくことで、大きな虐待にならないようにするため」だと思う。

虐待通報に対して、それが虐待なのかどうかは、行政が調査をし判定する。
通報者や、それが起った施設側に虐待か否かを判断することは求められていない。
求められていないし、それを判断するのは行政である以上、虐待であると決めつけることも、虐待でないと決めつけることも、施設で働く職員や関係者は、勝手にはできないということになる。

まぁ、一般的に、客観的に、どう考えてもそれ、虐待でしょう、っていうこともあるとは思うけれど。

虐待か否かを決めるのは、行政。

私たちがすべきことは、「虐待なのかもしれないな」とおもったら、通報すること。

ところで、この「通報」という言葉は、なかなか強い言葉だと思う。

私は、この「通報」は『相談』に近いものだとおもう。

最終的に、法律の目的は、障害者の権利を擁護することにあると思うが、障害者虐待防止法は、たとえば家族等の養護者に対しては支援をしようとしているし、施設等従事者についても個人の非として虐待を捉えるのではなく、組織の在り方を変えていく方向に導こうとしている。

虐待は、小さな人間関係の中や、密室の中に閉じ込めておくと、どんどんエスカレートする。
そうではなく、何がどうなってその状態になるのか、どこに負荷がかかっていてそうなるのか、それを紐解くことが大切だ。
それが、虐待を減らすことにつながる。

風通しの良い組織という言葉が、物事を適切に判断し行動し健全に運営される組織の表現として用いられるが、オープンテラスのように外からも中からも、さまざまな声が聞こえ、声が入り、目が届き、外を見ることもできる、風通しのよさがある組織は、たとえ虐待が起りそうな場面があっても、職員同士や外の機関とつながり、芽が出る前に摘み取れる。

そう思うと、通報は、その後は、行政や対応ができる専門職を抱える機関が介入し、調査を行いながら、その出来事がおこった背景や土壌を確認することにつながる。
慢性的に起こっているのなら、起こらないような改善や変化をもとめる。

つまり、通報をすることで、いきなり、たとえば110番通報のような逮捕のような結果を目の当たりにするのではなく(実際は、110番通報されても、その後にいろいろな手続きを経て、それが罪と決まり罰が与えられるのには、複雑なシステムがあり、刑事事件の場合は更生も目指すルートがあるわけですが・・・)、障害者虐待の疑いの通報は、その疑いを感じた周囲の支援者らの違和感や困惑を相談し、改善につなげる、まさに『相談』の一方だと思う。

法律が通報を求める以上、「虐待なんじゃないか」と心にざわざわしたものを感じたら、やはりそれは通報をするべきだろう。義務なんだから。

とはいえ、「でも、もし勘違いだったら?」という思いはわく。
しかし、そう思うのは、その場で、『先輩、その対応、まずい感じですよ。この利用者さんの個別プランでは、こんなふうな対応することになってますし、個性(障害特性)から考えると、こういうふうに伝えたほうがわかりやすいでしょうからね~』とか、言えちゃうと、いくらかの「勘違いだったら?」を抱く以前の問題になるかもしれない。
もしもそこで、先輩が『あ、ほんとだね。ちょっと熱くなりすぎてた。頭冷やしてくるから、しばらく対応かわってくれる?』とその場を離れ、個別プランをもう一度確認してくるようなら、悶々と「虐待だよな、あれ、虐待だよ、利用者さんが気の毒だよ、どうしよう、誰に相談しよう、通報か?」と悩むこともないような・・・。

結局は、抽象的なありふれた表現ではあるが「風通しの良い組織」の実現が、虐待をも減らすのだと思う。

実際は、いろいろ難しいことがあるんだろうけれど。人間って、プライドとか、相性とか、見栄とか、ライバル心とか、いろいろあるから。

いろんな経験上、相手の気持ちを理解しようとする心優しい真面目な支援員さんが、虐待に気づいて、でも、いろんな間に挟まれてしまい、苦しんでしまうのだろうと、思う。
良い支援をしたい、そう思って始めた福祉の仕事。

もし、あなたが、障害者虐待について、なくしたい、良い支援をしたい、と思うなら、職場や近くの同業者で、分かり合える仲間をみつけることは、大切だと思う。

虐待がなくなっていきますように。
不適切ケアが減りますように。
それらを実現しようと、心ある支援者が、励ましあい、支えあえる繋がりがありますように。
それに気づき、職員と利用者を守る組織が増えますように。

虐待は、支援者であれば、誰もがやってしまう側になる可能性があるもの。

自分は関係ない、うちの施設は大丈夫、と思わずに、どうかな?だいじょうぶかな?配慮のあるケアや配慮のある職場環境づくりができているかな?と思うことが大切。

虐待かな?とおもうことを発見したら、通報して相談を。
早期発見、早期対応は、利用者さんも、支援者も、周りの人も、結局はみんなの傷を小さくとどめる。
放置していたら、不適切なケアや虐待は、いつのまにかエスカレートする。
そうならないうちに、適切なケアができるような良い螺旋階段を作りましょう。

悪循環から良循環に切り替えるスイッチとして、相談や通報は有効だと思います。
もちろん、そのためには、対応する行政や包括・基幹センターなどには、通報者の勇気を無駄にせず、ダメな経験とならないように頑張ってもらいたいと、思います。