発達

言葉の獲得、語彙の獲得 ~聞いて、見て、口にして、繰り返す、何度でも~

こんにちは。森のすず社会福祉士事務所 代表の森保純子です。

パソコンを使い始めてから、だんだん自力で文字を書かなくなり、すっかり漢字が書けなくなりました。
読めるけど、書けない、、、微妙な部分がわからないんですよね。おぼろげな形はわかるのに。
やはり、使わない能力は衰えるんだな、と思います。

 

で、今回は、衰えるの反対の話。獲得の話。

 

母語として言語を覚えるのには、赤ちゃんの頃から幼児の間の一時期が重要だと言われています。
そのころに獲得できた言語が母語になり、その後獲得するほかの言語とは、異なるんですねぇ。
そういえば、よくよく考えてみると、母語としての日本語を自在に使いこなせるから、抽象的なことも考えられるし、その概念を言葉で表現することもできます。

 

言語の理解がなければ、抽象的な概念や、複雑な思考はできないでしょう。
母語の獲得は、とても大切です。

また、母語にしろ第2言語にしろ、語彙の獲得と、それに応じたその概念の獲得も大切です。
たとえば「はかなげな後ろ姿」という言い回しを考えると、「はかない」という表現は普通は幼児は使いません。
たぶん、小学校低学年でも使わない語彙でしょう。
それをいつの間にか獲得して、大人になるころには使えてたりするから不思議です。

 

でも、これって、いつの間にか獲得する機会があったからこそ、その言葉を覚えて使いこなせるようになってるんですよね。
おそらく、テレビやラジオ、漫画や小説、親や友達などから聞いたり読んだりして覚えたんだと思います。

 

言語を獲得する際に大切なのは、それを学ぶ機会があること。
そして、それを学び取る能力が自分にあること、です。

 

まず、学ぶ機会がないと、当然学べません。
語彙の量は、表現力の豊かさにつながってきますが、たとえば単語を100種類しか使っていない本だけで言葉を学ぶのと、10000語が使われている本で学ぶのとでは、純粋にそれだけから学べる量を考えると、100と10000で、明らかに得られる言葉数は違うはずです。
これは、本だけではなくて、周囲の人やメディアが、どのような単語をつかい、どのような日本語を使っているかで、獲得できるものが違ってくることにつながります。

考えれば、神戸弁を話す親に育てられると神戸弁の単語を覚えますし、津軽弁を話す親にそだてられると津軽弁を覚えます。
見聞きする機会のある言葉を覚え、見聞きしない言葉は覚えられない・・・当然のことです。

 

言葉を学ぶ機会、身につける機会は、等しくあるわけではなく、やはり環境に影響されます。
いろんな言い回し、尊敬語、丁寧語、土地の言葉、標準語、もちろん外国語も、それを得られる環境の有無は、言語を獲得する上で重要な要素です。

 

また、環境はとてもよくても、それを学び取れる能力が本人に備わっているかも、重要なことです。
言語は、音声として聞き取ったり、目で見て文字を読解して、活用します。
物理的に、聞こえない場合は聞いて理解することはできませんし、見えない場合もそうです。
また、音としては聞こえていても、その音を一音一音を聞き分け、意味のある並びとしてとらえ、それを意味のある概念と結び付けられるかどうかは、認知機能にかかっています。
同様に、目で見た「文字」が文字として読み取ることができ、それが意味ある言葉として捉えられるかは、さまざまな認知機能を活用することが必要です。

できる人には何気なくしている、聞き取りや読み取りの作業は、実はすごく複雑な脳の働きで成り立っています。

それが、できにくいと、聞いたり、見たりして理解することに影響がでます。
いわゆる、認知特性というものです。

「私、電話は苦手。書いてもらえるとよくわかる」とか「長文で書かれると、読んでも意味がわかりにくい。絵で示してもらえるといい」とか、「読むよりも、聞く方が理解しやすい」とか、程度の差こそはあれ、人それぞれ得意不得意があるとおもいます。
これが、認知機能の特性によって現れている個性で、それを認知特性と言います。

 

そんなわけで、言語の獲得には、いくつかの要因が絡んでいて、環境も大切だし、認知特性も影響があるし。
単純に、語彙数が少ないから本人の能力が低いとも言えないし、その逆も一概には言えない、ということ。

 

ただ、やはり聞いて言葉を覚える部分は多いので、子どもたちには丁寧な言葉も覚えてもらえるように心がけたいな、と思う今日この頃です。