ニュース記事から

ソーシャルワーカーの使命とは・・・相模原の事件と記事から考える

こんにちは、森のすず社会福祉士事務所です。
昨日は急にみぞれが降ったり雪が降ったりで、とても冷えました。今日もまだひんやり。
春らしい春はまだもう少し先・・・

 

昨日のメール速報で、相模原障害者殺傷事件の地裁での判決で、被告に死刑が出たとの通知がきました。
あれだけのことなのだから、そうか…と思いスマホの画面に並ぶ文字を見ました。
あの事件の発生後、各地の施設では外部からの侵入者にはとても警戒するようになったでしょうし、私の周りでも防犯カメラの設置や訪問者への警戒、夜間の戸締りの徹底などが行われていました。

ニュースやネット情報から伝え聞いたことしかわかりません。
でも、いろんなことを想像すると、残念とか悔しいとかそういう言葉では足りない気持ちが湧きます。
今朝、Googleアラートでは、Yahoo!ニュースでの藤田孝典さんの記事がありました。

国の借金1000兆円という言葉と相模原障害者殺傷事件ー社会に染みつく財源不足と障害者差別の意識ー

https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20200316-00168109/

確かに、今の日本で未来のことを考えると、高齢化・少子化・労働人口減少…それに伴う税金や年金の財源確保の課題など、明るい未来を思い描くことはなかなか難しい状況と言えるでしょう。

また、この新型コロナウィルスの影響は、経済活動を停滞させ、医療への影響もあり、さらに明るい未来を思い描くことへ大きな課題を残すというのは明らかです。

藤田さんが記事の中で述べられている、財源不足の話と、「だから・・・」と繋がってしまう障害者差別や排除しようとすることの感覚が、今以上に正当化しようとする人が出ないようにと思います。
また、「だから・・・」が妥当だと思わない社会を作ることは、私も社会福祉士の一人として責務だと思います。

そう。被告は、かつて福祉施設で働いていました。
私も、同じような仕事をしたことがあります。たしかに、キツイ割には給料は高いとは言えず…いや、他に給料だけなら良い仕事がもっと他に仕事がいくらでもあったはずです。でも、福祉職を目指す人が多かれ少なかれ持っているであろう、正義感や何かしてあげたい感を私も持ち、ともに楽しく過ごすんだ!という思いもたくさんありました。

藤田さんの記事の中では、

被告も入職当初は障害者との付き合いに楽しみや面白さを見出していた様子があるが、それが社会や施設の雰囲気などから変節し、犯行へと至っている。 

と記されています。
もちろん、社会や施設の雰囲気が彼の思想をそんな風に変えた、100%の要因を持つとは思いません。しかし、理想や夢を描く職員が目にした現状は、彼の思想をゆがめてしまう大きな切っ掛けや習慣にはなったのでしょう。

正直なところ、あのような凄惨な事件を起こすことは誰にでもあることではないとおもいます。当然です。
しかし、障害者や要介護高齢者を軽んじたり、排除しようとしたり、差別的に考えたりする行動や考え方をする可能性は、誰にでもあるのではないかと思います。
そのような思いは、施設等での少人数の半ば愚痴みたいな会話が、積もり積もると、中には妙な正義感の形をした感情を大きく抱き、勘違いをした状態を、正しさだと思ってしまう場合があるのではないかと思います。

誰もが自由に生き、尊厳を守られ、お互いに配慮しあえる世の中であればいい。
それが可能なのであれば、その良さを否定する人はそういないでしょう。
今の社会では、その自由を得るためには、お金が必要です。
お金は、誰かが働かなければ得られませんし、得られる量には限りがあります。
財源には限りがあります。

思えば、限りがあるのは、お金だけではありません。
時間も、体力も、何事にも限りがあります。

それらを、どう配分するか・・・それを考える難しさは、その制限が大きくなるほど難しくなります。
そして、もちろん、国としては福祉だけにすべての財力を注ぎ込むわけにはいきません。

藤田さんの記事を読んでいて思いました。
社会福祉士…だけでなく、全てのソーシャルワーカーは、その立場や職や日々の活動を通じて、社会が暮らしやすくなるように、変化を求めていくことを、もっと意識していかなければならないよね、と。
ソーシャルアクションという言葉があります。
これを、一体、どれほどの福祉職でない人々が知っているでしょうか?
そもそも、私たち社会福祉士のこと、ソーシャルワーカーという存在を、どれほど知っているでしょうか?

相模原の事件は、思い出すと何とも言えない塊が胸の中に沸き起こります。
それは、その加害者が最終的に起こしたことの重大性や、その理屈としての非情なことに沸き起こる感情ではありますが、一方で、なにかもっと事前に、できなかったのかと思う感情もあります。

私は社会福祉士です。罪を裁く職種ではなく、誰もが暮らしやすい社会を作ることを、福祉的なアプローチを通じて実現することが仕事です。
今できることは、例えば施設や社会への、障害者等への差別や虐待の予防の取り組みが一つ。
個別支援の案件では、本人の意志決定を支援し、尊厳をまもりながら活動していくことも一つ。

そして、日々の積み重ねを、事例研究、調査研究へとつなげ、社会への発信や提言につなげていくことを考えることが必要です。

大きな事件が起こってやっと目を向けるということではなく、日ごろから、障害があってもなくても、高齢になっても若くても、認知症が進んでもならなくても、大切に日々を共に暮らしていける社会をつくるために、虐待や差別やいじめや無配慮の芽を摘むことに、目を向けるのも大切!!!

財源には限りがあるけれど、人々の優しさや愛情は、本来枯渇しないものだとおもいます。
ただし、それは、その人自身が安定した環境で安心した生活で、心に余裕がある際において。
たまごか鶏か、という話になってしまいますが、今の世の中の、暗い未来を思い描くスパイラルを、日々の福祉の活動を通じて、上向き明るいスパイラルに変えていきたい!

私ができることは、とても小さく微力です。
でも、やるべきこと、できることをやっていこうとおもいます。