介護者が倒れてしまうと、介護される側も危険にさらされる。
家族介護の場合、介護する側が無理をして頑張り過ぎると、そのうち無理が続かなくなってうまく生活が継続できなくなってしまう。
人間だものねぇ。疲れるし、体調不良のときもあるし、いろんなことあるし・・・
さて、そんなときに利用すべきサービスこそが介護サービス。
そう思うと、確かに、家族がいる人の介護サービスの利用は、ある意味では家族のレスパイトにつながる役割も持っている。
でも、実際、私たち福祉や介護に携わる専門職は、いったい誰のために介護を行うべきなんだろう?
『本人主体』という言葉は、介護の業界ではもう飽きるほど聞き、本人の代弁、アドボカシー、エンパワメント、支援・・・などなど、本人の意思決定を支えるための取り組みの必要性は繰り返しいわれている。
やはり、人間だものねぇ。生まれてきたからには、できるだけ自分の意思で、自分の思うように、生きていきたいものですよねぇ。
そんな思いを支えるのが、権利擁護の目的だし、忘れてはならない大切な部分。
そう、つまり、本人主体で本人の意思決定や本人の尊重っていうのは、とても大事。
ところで、人間は一人では生きていられない。そもそも、一人では、子を増やすことすらできない。
生活のことを考えても、いきなり一人になったら、もう何もできない。
電気を起こすことも、水をろ過することも、ペットボトルを作り出すことも、全行程を一人で行える人なんて、この世にはいない、と思う。
人がいてこそ、自分が生きていける、そんな世の中。
家族にしてもそうだ。
もっとも、今も昔も、無条件に家族は家族愛に満ち溢れて結びついている、とばかりはいっていられないんだけれど、でも、一般的に考えると、「家族が仲良く、お互いを尊重しあい、次世代の幸せを願い、年長の世代を敬い、続いていく」みたいな家族像は、もしそれが可能なのであれば、多くの人が望むんじゃないかな、と思う。
すくなくとも、私は、そんな家族であれば、うれしいなぁとおもうのだ。
そして、今の日本は、核家族化が進み、経済状態は共働きでこそなんとか回っている家庭が多いのは事実。
一家で介護を担うのもなかなか難しい。
だいたい、介護離職なんて、ダメなのよ、これからのことを考えると!
で、そうであれば、介護サービスを上手に使って、高齢者には末永く元気に、自分のことは極力自分でして、楽しい生活を送ってもらいたい。
難しいところは、介護保険のサービスや自費サービスなどでカバー。
それがいい!それがいいんです。それで、いいんです。
ってことは、ですよ。
介護サービスというのは、当然、本人のためのサービスでありながら、ある部分では、家族の負担を減らし、また家族と本人の間柄を適度な距離に保つ役割も担えるもの。担うもの。
私はそう思います。
だから、当然、本人の意向は尊重しなければなりません。
一方で、家族の状態も確認しなければなりません。
人間の望みは無限に広がりますが、実際にできることには限りがあります。
「某ランドのシンデレラ城に住んで、家族に介護してもらい、毎日舞踏会に出たい!」と思うのは自由でも、それを実行できるかというと、できる人は稀でしょう。稀といっていいのか、まぁ限りなくゼロにちかいでしょうね。
一方で、やっぱり、家族には家族にしかできないことがあります。
それは、愛情の面だったりもするし、書類へのサインなどの事務的なことだったりしますが。
ときどき、こんなことを聞きます。
『介護の支援者が、本人の状態や意思より、家族の意見ばかりを優先させ、本人が望んでいない方向へプランを進めてしまう。』
実際のところ、いろんな家族関係がありますよね。
本人の個性もいろんな人がいますし、家族の個性もいろいろ、そして、歴史も色々。
仲が良かったばかりでもないでしょうし、幸せな老後の実現を願う人たちばかりでもない、というのが世の常。
いろんな家族があります。
そんな中で、誰のための介護なのか?
私はやっぱり、第一には、本人の幸せのための介護であるべきだと思います。
家族からしてみれば、仲が良くなかった歴史があったりすると、「どうなってもいい」とおもわなくもないかもしれません。
でも、それは、家族の中での感情。
第三者である私たちが、その家族間の感情に引っ張られるわけにはいきません。
家族の思いは、それはそれで尊重すべきでしょう。
つまり、もし、家族が過去のいきさつから、幸せや良い方向を積極的に願えない状態であっても、それはそれでいいのです。
その分、第三者であり、プロとしてサービスを提供する私たちは、きちんと利用者さんである本人の意思を確認し、気持ちを汲み取り、健康を守り、幸せな日が一日でも多くあるように、つとめるべきではないかな、と思います。
家族は、家族としての役割があります。良いことも、そうでないことも。
私たちは、サービス提供者としての役割があります。