マスクとその下の重力との関係。

こんにちは、森のすず社会福祉士事務所です。
マスクにまつわる、比較的どうでもいい話をしましょう。

今の状況、ただ生きてるだけでも結構なストレス。意識して、息抜きしていきましょう!

マスクを日常的にするようになったのが、いつの頃からだったか。
学校の休校要請が出た2月下旬には、もうすでにマスクを毎日していた気がするので、おそらくかれこれ、2月、3月、4月、5月・・・4か月は外出時にマスクをつけていることになる。

家の中ではマスクを外しているが、外出中、手を洗うときには目の前に鏡があることが多いし、ガラスやモニターに映る自分の顏は、すっかりマスクを付けたもので見慣れた。

マスクをつけて鏡をみると、見るのはもちろん目元周りに集中する。
もし、マスクを着けていなければ、口元や鼻のあたりもみるのだろうけれど、マスクをつけて覆われてしまうと、そこには注意しない。

マスクに色がつくのが嫌なので、全体的な化粧も控えめになり、特に口元はナチュラル(よく言えばそうであるが、要は何もしていない)を保っている。

が、少し前に、それまで急展開するコロナに振り回される生活から我に返り、まじまじと自分のマスクを外した顔を見てみると・・・

『あれ? 口元って、こんなにたるんでたっけ?』

と、ちょっと驚いた。

まぁ、年齢を考えると、皮膚が重力に負け始めるであろう年齢はとっくに通り越したのだろうとおもうし、大して手入れをしていないし、体重の増減も激しいので、そりゃそれである意味ナチュラルなのだろうけれど。
自分が、なんとなく、マスクからみえる目とその下に続く顔を勝手に想像し、頭の中で美化していただけだろうから、その差なんだろうけれど。

ちょっと、驚いた。

たぶん、一日一日、わずかにでも身体は変化しているんだと思う。
昨日の自分との差はわからなくても、5年前、10年前の自分とは、全く違う。
大掃除ででてきた証明写真は、それぞれやっぱり顔の凹凸が違う。
気づかなくても、積み重ねている。昨日、今日、明日を。

マスクは、今の生活では飛沫感染を予防する大切なアイテムだ。
そして、そんなものを必要とする生活は、楽しみが減り、恐怖や不安や苦痛が増え、口角があがる機会は依然と比べると減っている。
その結果、口角とともに顔全体もなんとなく重苦しく下がった顔が、デフォルトになってきている気がする。

このままだと、近い将来、コロナの束縛から解放される日が戻っても、今度は「顔のたるみを隠すためのマスク」として、マスクを着用し続けてしまいそうな気がする。

・・・・まぁそれも、いいかもしれないけれど。

でも、心理学のなかに「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい。楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」というのがある。
ジェームズ・ランゲ説。

その説を考えると、マスクの下の口角を、上げていけば、楽しく感じることが増えるかもしれない。
そうなれば、ついでに、顔の筋肉も、もう少し重力に逆らって高く維持されるかもしれない・・・しらんけど。

だとしたら、多少なりとも、ハッピーな状態にメモリが向かうのでは??

マスク、英語でのmaskという単語は、動詞で「覆い隠す」という意味を持つ言葉だ。
飛沫感染防止、花粉吸い込み防止、などなど、いろんな用途で使うマスク。
口元を覆い隠している間、不安な顔を覆い隠すマスクではなく、隠れていても口元も含めて顔全体でにっこりと、表情豊かに暮らしていきたいなぁと思う今日この頃。

余談だけれど、
マスクをつけて、にっこりすると、目元の小じわが目立つのは・・・
まぁ、いいことにしよう!