『当事者の気持ち』を考えること~NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」

こんにちは、森のすず社会福祉士事務所です。

日頃、ほとんどテレビを見ないので、テレビ番組もCMの話もよくわからず…な状況ですが、どうしても見たいものはオンデマンドで見れる便利な世の中。
技術の進歩や普及というのは、ありがたいものです。

先日放送されたNHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」を、オンデマンドで見ました。

あちこちで、番組を見た感想を、当事者の方、家族の方、支援者の方が書かれたり話されたりしていて、それを見聞きすることでも、また、いろいろと考えさせられることがあるのです。
折角なので、私も書いておこうと思います。

 

■以下、感想とか考えたこととか・・・

番組の中では、長谷川先生が認知症になって気づかれたことを話されている場面がある。
医師として第一線で活躍し、長谷川式スケールの開発普及の他にも、痴ほう症からの呼び名の変更や、デイケアの開催など、いろいろな方面から患者の尊厳を守り、家族の負担軽減までいろいろと取り組まれていた方だ。
尊厳を守ろうと認知症へと呼び名を変える働きかけをしていた方なのだから、当然に、患者の気持ちやその目線は誰よりも意識されていたんじゃないかと思う。

でも、なってみると、そこから見えるもの、感じるものはまた違っていたようだ。

何事も、本人でないと、リアルなことは分からないんだろうなと思う。
それは、認知症に限ってのことではなく、どんな病気でも、どんな苦労や辛い状況でも、外から推測はできるが、リアルに感じているのは本人だけなのだと思う。
その部分を、支援者や周りが自覚していることはとても大事なことだ。

治療や支援の第一人者が、当事者になって、そこで感じたこと思ったことを世に伝えることは、大きな意味があるのだと思う。

パターナリズムというのか、良かれと思ってしていることが、本当にそれでいいのか?と考える切っ掛けになるだろう。
本人中心と言いながら、本人の決定や思いが後回しにされてしまいやすい状況で、本当は本人はどうなのかと考える必要性を感じさせられる。

認知症については、いつか、私もなるのだとおもう。
なったら、「そうだったのか、こういうことか」と実感することがあるかもしれない。
いま、想像して支援していることでは、まったく足りていないという思いを抱くのかもしれない。

それはそれで、そうなんだとおもう。
そうだからといって、当事者の意識は当事者にしかわからない、なってみないとわからない、ということで止まってはいけない。

想像力がある。
先を生きる人たちの苦労や知恵や記録や研究がある。
そして、認知症では当事者とはなっていなくても、別の課題や問題や病気では当事者であることもある。
その経験から得られることは大きく、それらを集めると、推測していく幅も広がる。

だれも、他者にはなりかわれない。
だから、知ろうとしなければならない。聞こうとしなければならない。
そうやって、少しずつ分かっていく中で、続く限り、日々良い支援が少しずつ実現していけたらと思う。

まだまだ、これから。

生きるということはどういうことか、生きる当事者として、いろいろ感じ考え、取り組んでいきたいと思う。