日: 2019年5月18日

愛犬から学びました~ともに過ごした14年7か月の話

こんにちは。森のすず社会福祉士事務所 森保です。

この「森のすず」と言うのは、ビーグル犬の別名・愛称ということから名づけました。
別名は他にも、「森のトランぺッター」とか「森の声楽家」などがあるようです。
ビーグルの鳴き声はとてもよく通ること、もともと森でウサギ狩りをする犬でありビーグルを数匹で組ませてチームで狩りをおこなわさせるようですが、その際によく通る声で合図を送りあうことなど、そのような由来から「森」と「音をあらわす」単語がくっついているようです。
さすがに、事務所名を『森のトランぺッター社会福祉士事務所』とか、『森の声楽家社会福祉士事務所』にすると、いろいろとややこしそうな気がして、『森のすず』だといいかな~と思って採用しました。

今回は、私の愛犬の話を書きたいと思います。

昨日は、14年7か月を共に暮らした愛犬の命日でした。
彼から学んだことはたくさんあります。
それを記しておきたいと思います。

犬好きの方、ペット好きの方は良かったらお読みください。
私にとっては家族そのものです。
動物は家族っていう考え方はちょっと・・・という場合は、よかったら別の記事にお進みください。

愛犬と私が出会ったのは、とあるペットショップでした。
すでに生後3か月を過ぎ、子犬らしさがなくなってきつつあった彼は、ペットショップのガラスケースではなく、隅っこのケージに入れられていました。
価格も激安で、数万円とついていました。ほかの犬や猫がゼロが一つ多いのに・・・。
大きくなりつつあり、店の隅に置かれ、価格も激安となると、もしかすると彼の人生(犬生)の猶予はさほどなかったのかもしれません。

私がビーグル犬の男子を求めていると店員に伝えると、ケージから出してもらった彼は、自分の置かれた状況を知っているのか知らないのか、無邪気な笑顔でしっぽを高く上げ、まっすぐに数mを歩き、私の元へ寄ってきたのが印象的でした。
顔は茶色で、ビーグルで想像していた鼻筋に白い線はなく、なんだか思ってた顔と違う…と思いましたが、数分間ですっかりなつかれた気がし、ちょっと違うと断るのも気の毒な、何とも言えない心境になりました。
連れて帰ることにしました。

3か月を過ぎた彼は、すっかり犬らしくなっていました。
ころころの子犬感はほぼなく、すっきりした体形、伸び始めた鼻筋、少年のような雰囲気でした。
それからはヤンチャで、なかなか大変な毎日が始まりました。

当時住んでいた家には庭があり、庭先に放すと一人でいつまでも遊んでいましたが、時々私の姿を確認しに戻ってきて、窓から顔をのぞかせてはまた遊びに出かけていました。
当時心理学を学んでいたのですが、子どもが保護者にベースタッチをして徐々に遠くに離れていくように、犬にもあるんだなぁ~と関心したものです。

私が犬をしつけるのが下手だったからなのか、彼の個性なのか、おそらくビーグルの中でもかなり自由奔放に育ちました。
また、寂しがり屋でした。

一度、ペットホテルに2泊預けたのですが、どうやら夜通し鳴いてお店の人が迷惑におもったようで、出禁になりました。
施設に断られる気持ちが、すこし分かりました。
愛犬の場合、一人でも過ごせるので、ご飯を誰かいお願いできれば1泊・2泊は自宅で過ごせましたが、当然人間の子どもの場合だとそうはいかないでしょう。
施設を頼れないとどうなるか、考えるきっかけとなりました。

私が働き始めると、どうしても愛犬は昼間は寝て夜に活動する夜型生活になります。
元気がよく、10歳過ぎまでは飛び跳ねていました。
料理をするたびに、隣でぴょんぴょん飛んでましたが、体重も10キロ弱あったので、ぴょんぴょんというよりは、どすんどすんでした。
階下の人に迷惑を考えると、とても心苦しく、それもあってあまり手の込んだ料理はしなくなりました。
愛犬に静かに過ごしてもらうように、というのが、一時期最大の生活の課題だったようにおもいます

 

人間と犬を一緒にするな、と言われるかもしれませんが、とあるお母さんの「うちの子は、家でパニックになったときなど、飛び跳ねて階下の人から苦情がきた。それ以来気が気でない」という話には、内心すごく共感しました。
飛ばないように要望を聞き入れる方向になる、というのも、まさに私もそうだったので、本当はそれも良くないとわかっていても、他に良い方法がなくて仕方がない、、、とはいえ、いろいろと心苦しいな、、、とおもったものです。

なんだかんだと、いろんな経験をし、夜中も、昼夜逆転の彼にとっては遊び時間なので、私が寝ていても度々起こされ、おなかが空いたねだられ、彼がなくなる少し前までは夜中に1~2時間ごとに起きて、少しおやつをあげることが続きました。
赤ちゃんの授乳であれば1年程度でその状況はおわりますが、生きている限り続く…というのは、なかなか辛いことでもありました。
もちろん、私が昼間に彼の相手をできないのが最大の原因ですが、とはいえ、私自身も彼を養うためにも働かねばなりませんから、昼間に家に居続けるというのは難しいものでした。

そして、身体が徐々に弱り、最後は1か月ほど調子を崩し、最後1週間ほどは完全に臥せって、自宅で私の帰宅を待って、看取りも経験させてくれました。
看取りと言っても、人間と比べると医師を呼ぶわけでもなく、簡単なものですが・・・。
1か月程度の介護期間でしたが、その間、仕事は極力セーブし、終わったらすぐに自宅に戻り、愛犬の世話をしました。
介護の最中は、何時まで続くかわからず、いろいろ不安な日々でした。
てんかん発作もでていたので、不在の時にどうなっているのかも、心配でした。

とはいえ、在宅での家族介護経験のない私には、彼は非常に良い経験をさせてくれたんだと思います。
人を介護し在宅で看取るということは、きっと、犬と比べると格段にいろいろと考えるべきこと、感じることはあるんだと思います。
そのとても大きなものは計り知れませんし、経験しきれていないとは思いますが、それでもそれがいくらか推測できる経験となったことは、とても有難い経験だと今おもいます。

 

ほかにも、つねに虎視眈々と食べ物を手にすることを狙っていた彼は、私の一瞬のスキをみごとについては、食べ物を手にしていました。
ラーメンを食べていたら、横から麺を奪い取られたり・・・
ジャンプしてフライパンの肉を狙ったり・・・
冷蔵庫の下に転がった1粒のドッグフードはあきらめずにいつまでもかきだそうと粘っていたり・・・
何かのチャンスをねらうというのは、常に今はどうだ、今はどうだと、狙っているものなんだな、と教わりました。
無理なことが大半でも、今ならいけるかもしれない!と繰り返しチャンスをうかがいチャレンジする姿勢は、愛犬からかなり学びました。
たぶん、私が執念深い部分がかなりあるかもしれないのは、愛犬の教えの部分もあるように思います。

 

彼と出会った頃、私は大学院の学生でした。
福祉とはまだ縁もなにもなかったころです。
その後、しばらく企業につとめ、それから福祉の世界で働くようになりました。

福祉の世界に入ってから、たしか10年目です。

その間、いろんな経験をしましたが、平行して愛犬が自宅でいろんな姿を見せ、いろんな課題を提示し、それに悩んだり、ときに喜んだりする環境があったことは、おそらく私が福祉の仕事を天職かも!と思わせる何かを作る土台になっているように思います。

 

外国の言い伝えで、「こどもが生まれたら犬を飼いなさい。赤ちゃんのときは守ってくれ、子どもの時は遊び相手になり、先に老いる姿と死で人生の大切さを教えてくれる」というような話があると聞いたことがあります。
まさに私にとっては…私は赤ちゃんではなかったですが…そんな存在でした。
愛犬は一生を見せて、私の心を守り、私の足らない経験を補い、いろいろと気づくきっかけをくれました。

犬ではありますが、私にとっては大きな存在でもあります。

教えられたこと、気づかされたこと、経験したことは、とても大切なものばかり。
それを、時々思い出しながら、森のすず社会福祉士事務所は、利用者さんの人生に伴走する福祉的支援を行っていきたいと思います。

そんなことを思い返す日の一つが昨日でした。
(あとは、愛犬の誕生日と犬の日にも思い出します)

 

さぁ、今日も元気に取り組んでいきます!

たぶん11歳ごろの愛犬。まつ毛と顔が白くなった。昔はもっと色が濃くて細マッチョな雰囲気でしたが、おじいちゃんになるにつれて、優しい顔になりました。が、虎視眈々と食べ物を狙うのは、犬生の最終段階の間際まで顕在で、なかなかいろいろ飼い主としては苦労が多く、でも、振り返ると楽しい日々だったなぁ。ありがたいことです。