今日の独り言。
前のブログ投稿をみたら「謹賀新年」というタイトルで年始に書いたものだった。
なんということだろう。あっという間に半年がたっている。
時間が過ぎるのは、とても速いものだ。
ところで。
失語症の主な2つは、ウェルニッケ失語と、ブローカ失語。
ウェルニッケ失語は、側頭葉にあるウェルニッケ野の損傷が主原因で、言葉は流暢に喋られるものの、理解が困難な状態。
一方、前頭葉にあるブローカ野の損傷によるブローカ失語は、言語理解には問題はないけれど、発音や流暢さに困難がみられる失語だ。
この2つを読み比べていると、脳って不思議で、とてもすごい!としばしば思う。
そして、それと同じように、言語というものが、不思議だな、と思う。
流暢に喋るけれど、意味が理解できていない。
喋るのは流暢にはできないけれど、意味はきちんと理解できている。
そんなことが、起こり得る。
ウェルニッケ野とブローカ野のことを読み返すたびに、人と言うのは表面からだけでは、内面はわからないものだと、つくづく思う。
滑らかに見えていても、実は内面にはざらつきがあることもあるんだろうな。
流暢に、すらすらと、表出していても、内面の実際はちがうのかもしれない。
何も発しなくても、いろいろと考え、悲しみ、怒り、喜び、考えていることがあるんだろう。
脳の、言語野やその他認知機能の話は、とても不思議で、もっと知りたいと思うけれど。
同様に、福祉の仕事をする中で、生活をアセスメントする場合には、表面だけを見て捉えた気になるのではなく、その人の言葉を聞き、様子を見て、理解しようとすることが必要なんだろう、と思う。
他人を完璧に理解することはできないと思うけれど、理解しようとして耳を傾け、目を留めることが必要だろう。
きっと、複雑で、単純で、難解だけど、シンプルな、いろいろが詰まっているとおもう。
人生は、振り返るとあっという間に来たとおもうけれど、本当は長い時間かけて、いろんなことが起こってきたのだから、いろいろあるよね。
おやすみなさい。
おはようございます。