何をしたかったのか、考える~独立型社会福祉士を考える~

こんにちは。森のすず社会福祉士事務所 社会福祉士の森保です。

今日(3月17日)は、兵庫県社会福祉士会 独立型社会福祉士支援委員会の企画で、研修に参加しました。
実際に独立している3名の社会福祉士の方のお話を聞きました。

ちなみに、一応私も独立型社会福祉士です。
でも、解りにくいですよね?
何をしているの??と聞かれることも良くあります。

今日の研修では、3名の方の、こんな経緯で独立しました、以前はこんなことをしていました、今はこんなことをしています、というようなお話を中心に聞きました。
が、一言で独立型といっても、それぞれさまざまです。

お話を聞きながら、私なら何を話すだろう??と考えました。
そもそも、何のために独立型になろうとしたのか・・・そのあたりを話したいな、と思いました。

折角考えたので、書き記しておきたいと思います。

 

ソーシャルワークという言葉が、漠然としてあいまいな部分があって、「ソーシャルワーク」というカタカナからでは、具体的なイメージがしにくいです。
なので、今の私がソーシャルワークと言う枠の中に入っているのかどうなのかは、私にはわかりません。
でも、まぁ、たぶん、入ってるんじゃないかなとおもったりしています。

 

もし、働きをミクロ・メゾ・マクロで分けるなら、私が究極的にしたいのは、ミクロな支援です。

地域支援活動や研修講師など、地域活動を主にやっている点では、今現在の仕事のメインはマクロなとりくみにあるのかもしれませんが、でもそれは、最終的にミクロな部分がうまくいくようにしたいと思うからです。

 

そもそも、私が人を支援する仕事をしていきたい、と思ったのは、最終的に、自殺予防・自殺防止の取り組みに関わりたいと思っているからです。

私の中で一つ、定期的に自動的に繰り返されるイメージがあって、特に、自殺の話を聞くと、それは頻繁に自動的に再生されます。

おそらく人間は、生まれてきたあとは、安全に、快適に、おいしく食べて、よく笑い、ぐっすり眠る、というような生活をしたいものなんじゃないかと思います。
人間は・・・というよりも、動物は、という話かもしれません。

でも、自殺するということは、それらが脅かされてしまっている、と言うことなんだと思います。

大抵の人は、死ぬということには恐怖感を感じるでしょう。
でも、追いつめられた人の思考の中では、恐怖感すら感じることができないのかもしれないし、生き続けるよりも今終わらせる方が楽だとおもっているのかもしれません。

冷静にいるときは死ぬことは怖いなと思うのに、疲れ切ってしまうと、ある朝ふっと「あぁ、今日でもう終わりにする日だな」とひらめくように思ってしまったり、死に吸い寄せられるように近寄ってしまったり。
もし、少しでも安心だ、幸せだ、おいしいな、満腹だ、ゆっくり寝よう、布団は気持ちいいな、と思う気持ちがあれば、そうはならないかもしれませんが、ときにそうなってしまうこともあるのかもしれません。

 

人の死は、遠い人の死ほど、他人事です。
ある意味、あたりまえかもしれません。
身内の大切なひとも、見知らぬ人も、同じだけその存在がなくなったことに悲しむのであれば、いろいろと社会生活には問題がでてくるかもしれません。

誰かがなくなったという情報は、辛くて涙がとまらない、ということにはなかなかならないのですが、それでも、一つ、なんとかならなかったのか、と思う部分はあります。

 

うまく言えませんが、死を選ぶことを決意した人が、それを決行したときに、その直後に、「でもやっぱり・・・」と思う気持ちが芽生えるとしたら?
人は、せっかく生まれてきたのだから、やっぱり1回でも多く幸せを感じたいと思うものではないかなと思います。
だから、その死を選び、行動を起こし、もう戻れない瞬間に、「やっぱり」と思ったかもしれない・・・と、私はよく考えます。

それって、つらいな、と。
無念だな、と。

せっかく生まれてきたんだからなぁ・・・と。

 

だから、生きやすい社会を作りたい。

死は、自然とすべての人にやってきます。嫌でも、いつか。
だから、それまでは、悲しさや辛さから、自らそれを選ぶことはなくなればいい。
そして、生きて、一つでも幸せが多いように。
ささやかでも、あぁよい一日だったな、とおもって眠りにつけますように。

そんな、社会になればいい。

 

私ができることを考えた時、できることはそんなに多くありませんでした。

でも、何もできないわけでもありませんでした。

世の中には、今は深みにはまり込んでいるけれど、すこし引っ張り上げられたら、あとは自力で何とかなる人も大勢います。
それは、気持ちの面でも、生活の面でも、金銭管理の面でも。

社会にはさまざまな制度があるけれど、どれも法律や何らかの規則に基づいて作られた枠があり、でも、人間はその枠からはみ出てしまう場合もあります。

生活は、あらゆる人にあるもので、生活があるかぎりその中で困った出来事も起こり得ます。
途方に暮れることもあるかもしれません。

そこに、何かしたい。

悲しみが一つでも減るように。

そんなことができる、社会を作りたい。

 

私が、独立して活動している理由は、一つの組織に雇われていたら手を伸ばすことができない部分に、手を伸ばすためです。

だから、尻込みせずに、できることをやっていき、「できない」とは言わない技術や知識や経験を持ちたいと思います。

そういう感じでやっている、フリーランスの社会福祉士です。

って、おもってるんだよね~。
でも、忙しいと、どうしても忘れがち。
また、新年度が始まる。

がんばっていこう!