日: 2019年4月21日

高齢者の運転について考える

こんにちは。森のすず社会福祉士事務所 森保純子です。

私は、2017年から「認知症の人と家族の会 兵庫県支部」の世話人をしています。
それ以前から、高齢者介護に携わっていたため、認知症の方、家族の方とのお話をする機会はありました。
車の運転は、事故の話がニュースになってもならなくても、運転する高齢者のいる場所では、その可否について話題になることがありました。

車の運転の継続・断念と、生活の質の維持は、特に都会から離れた地域ほど、密接に関係します。
そして、車の運転は、特に車好きな人にとっては、アイデンティティとかかわると言われるほどのもののようです。

高齢になると、どうしても身体機能は衰えます。杖を突いて歩く人の数は、きちんと数えたことはありませんが、若い人よりもどう考えても多いでしょう。とはいえ、全員が一律にということはありません。冷静さやのんびりさなどの性格の面は、10代20代の頃よりも、落ち着いている人がいるかもしれません。でも逆に、短期で頑固になっている人もいるように思います。つまり、個人差がすごく大きいものです。

これまで、90歳の方が運転していること、しっかりしていることを、嬉しそうに教えてくださる家族に出会ったことや、しっかりしているように見えますが「危ないから」と75歳で運転をやめる判断を自分でした人や、いろんな人に出会ったことがあります。90歳の方の家は、車がないと生活がしにくそうでしたし、75歳の方は車を使わなくても便利に生活できるところだった、というのは、車を手放す手放さないに大きな影響があるように思います。

確かに、郊外の場合は少し買い物へ行ったり、受診をするにしても、車があると便利です。ないと不便です。バスに乗っていくというのは、時間をバスに合わせなければなりません。タクシーを使うというのは、車と比べると費用の面で大きく違う気がします。もっとも、本当に費用が増えるのかどうかは、車の使用頻度によりますが、それでも「ちょっとそこまで」と思いついたときに、タクシーを呼ぶのは手間に感じるものですし、そもそも、そんなに都合よくタクシーが来てくれる場所ばかりでもありません。

そういうことは、ちょっと考えると起こり得ることで、それを理由に車の運転を、辞めたほうがいい、やめたい、と思っていても続けなければならない場合もあるでしょう。

一方で、先日、東京の池袋で事故が起こり、二人の方が亡くなりました。事故後、いろんな情報がニュースで聞こえていますが、それにあわせて、いろんなコメントも聞こえてきます。

認知症かどうだったか、日ごろどういう状態だったのかは、報道される一部分の情報では分からない部分も多いですが、事実としては80代後半の方が運転する車が、人をはね、ぶつかり、犠牲者がでてしまった、というところは疑いのない部分かと思います。

高齢者の運転の是非について、議論はこれからもますます盛んになりそうです。

高齢者の運転、認知症のある人の運転について話をすると、かならず、生活の質の話、手続き記憶の話が出ます。

生活の質の話とは、運転をやめることで、通院や買い物ができなくなる、高齢夫婦二人暮らしの場合には、夫だけが運転する場合に夫が運転をやめると、妻の通院もできにくくなるというようなこともあります。これを解決するためには、バスやタクシーの利用などがありますが、実際にそれきりかえるとなると、すでに高齢になった方に生活をダウンシフトするような変化は、なかなか受け入れられにくいように思います。とはいえ、ある程度歩けたり動けたりする状態で、なんでもかんでも在宅サービスというのも、いかがなものかと思います。あれもどうか、これもどうか、という話になり、外から運転をリタイアした生活を提案しようとおもっても、なかなか決定的な解決策が見つからない問題です。

手続き記憶の話とは、運転する技術は長年染み付いているものだから、認知症になっていても安全に運転できる、というような話です。たしかに、たとえば自転車にのる、包丁をきように使うなど、身体が覚えているために、記憶力が低下しても上手にできることもあります。なので、車の運転も、体で覚えているから、できる、という話です。「運転」だけ言うとそうかもしれません。しかし、気を付けなければならないのは、車は変わっていて、昔のようにMT車が当たり前という時代ではなく、いろんなところがピーピーなっていろいろ丁寧におしえてはくれるものの、それが便利に使えているかは謎な気がします。道も変わっています。

運転は、自分だけがするものではないです。広い屋敷の庭を自分で運転するのとは話が違います。サーキットを、運転と言う技術を試したいだけで走るのとは、違います。そこには、歩行者や、他の車がいます。それらも、突然、飛び出してきたり、細い道をすれすれで抜けたりする必要があり、臨機応変さは必要です。その、すれすれを通る、とか、とっさに出てきたものを避けるという、いわゆる反射神経の良さは、やはり、年齢が高くなると難しさが出て来る部分だと思います。

そのあたりはちょっと考えると、想像できる部分だと思います。

だったら、どうしたらいいのか。

事故のニュースが出ると、高齢者の運転はやめてもらいたい、という意見がでます。一方で、高齢だからといって、それだけで辞める理由にするのはどうか、という意見もでます。いつもこの繰り返しのように思います。

「高齢になったから」と、例えば80歳を超えた時に、本当にいきなり車をやめることはできるんだろうか? しかたなく、やめなければならなくなった、運転できなくなった、という状況にはなるのでしょうが、もっと円満になんとかならないのでしょうか?

もうちょっと足腰が元気な時に、たとえば車から公共交通機関にかえる習慣を身につけられる仕組み、とかがあればどうでしょうか?

交通事情やサービス状況は、地域によって大きく違います。
サービス展開の在り方を、もっと車無し生活ができやすいように、工夫する必要があるのではないかと思います。

結局、いつもの結論になるのですが、車をやめても生活が満足にできる社会の仕組みづくりが急に大切です。認知症か否かを検査で確認し、免許証発行の可否につなげるのには、やはり限界があります。紙や口頭やパズルを解く検査では、人間の行動をすべて予測することはできません。できれば、自然と、車がなくても生活ができる仕組みを持つ地域社会への移行(しかも早急に)が望まれるように思います。