意思決定の支援~いろいろな中から選べること~
意思決定にはもちろん判断力が必要なわけで、一見すると判断力の有無が意思決定の支援の要不要を分けるもののように考えがち。「自分で決めた」ということはとても大切ですが、外見上「自分で決めた」という状態でも、実は偏った選択肢からしか選べていない場合もあります。意思決定について、どのような支援が必要かを考えます。
こんにちは。森のすず社会福祉士事務所 森保純子です。
暑さも和らぎ、朝夕は涼しく、時には寒いほど。
何を着ようかな、上着いるかな、傘はどうかな・・・そんなことに迷いが生じる今日この頃。
半袖を着るか長袖を着るか、上着を持っていくか行かないか、傘を持っていくか行かないか。
日常の中には、このような些細な意思決定から、「家を買うか買わないか、買うならどこに買うか、どんな間取りにするか、ローンはどうするか、買わないなら借りるのか・・・」や「就職活動はどうするか」など、人生に大きな影響を与えることの意思決定まで、さまざまです。
思えば、人生も日々の生活も、朝起きる時点で、「起きる」「起きない」の意思決定から始まり、決定の連続です。
意思決定と簡単に言いますが、いったい意思決定ってなんなのでしょう?
「自分で決めること」の内側
些細な判断ですが、「何を着るか、半袖にするか、長袖にするか」を決定する過程を考えてみましょう。
季節は秋、朝夕は冷え込み、昼間は気温が少し高めになる時期。
どんな服装をするべきかは、
- 今日の天気
- 最高気温、最低気温
- 今日の行動と行先
- 最近のお天気や気温の傾向
- 自分の体調や感覚
- 自分のこのみ
などに左右されるでしょう。
最高気温が低めだと感じたら『長袖にしよう』と思うでしょうし、天気予報で「夏日が戻る」と言っていると『半袖でいいか』となるかもしれません。
朝起きてひんやりしているなと思ったら、長袖を着るでしょうし、暑い!と思ったら半袖でしょうか。
長袖が好き!だとか、日焼けするから夏でも長袖なのという人であれば、多少暑くても長袖を着るでしょうし、冬でも半袖!という人は半袖を選ぶでしょう。
「長袖を着てきてください」という日中の予定があるのであれば長袖でしょうし、昨日は半袖を着ていたけれど寒かったというのであれば、今日は長袖を選ぶかもしれません。
迷う時は「薄手の上着を羽織っていき、暑かったら脱ごう!」と決めるかもしれませんね。
そう思うと、判断をするには
- 環境についての情報
- 自分の行動についての情報
- 自分についての情報
などがつかめていることが必要です。外の天気もわからない、天気予報もわからない、昨日がどうだったかもわからない、今の気温の感覚もわからない、半袖や長袖の服があるのかもわからない、今の季節もわからない・・・となると、決めようがありません。
情報を得る、ということは、物事を決定するにはとても大切なことです。
また、それらはある程度わかっていたとしても、「私は半袖しか似合わないから、どんなに寒くても半袖しか着ちゃダメなんだ」と思っていたりすると、そもそも選ぶという行動も起こさず「半袖!」を着ているかもしれません。
自分で何かを決定する場合を、「自己決定」と言いますが、自分にまつわる自己決定を行う場合、一般的に考えられる自由さをもって選べるのかそうでないのかは、重要なことです。
その自由さをもっているかどうかは、一見するとわかりにくいこともありますし、『本人がそういうのだから』と、周囲は本人の自己決定だと思いがちでそれで良しとしがちですが、本当にそうでしょうか?
「意思決定」の過程で大切なこと
意思決定について、イギリスには「意思決定能力法」(2005年)があります。
ここでは、意思決定がない状態について言及され、意思決定能力が「ない」ということは限定的なものであって、包括的な事柄に対して「ない」ということは不当、とされています。
また、ここでいう意思決定とは
- 自分の置かれた状況を客観的に認識して意思決定を行う必要性を理解する
- そうした状況に関連する情報を、理解、保持、比較、活用する
- 何をどうしたいか、どうすべきかについて自分の意思を決定する
という決定する行為そのものについて着目されています。
(参考:日本社会福祉士会 編集 基礎研修テキスト 上巻)
つまり、「半袖か長袖か」を決定する行為について考えてみると、
- 今日の天気や予定を考えて、半袖か長袖かを決める必要があるなぁ
- 昨日は暑かったけど、今日の天気予報は「最高気温は昨日よりもかなり低い」と言っているから、今日は寒くなりそうだ。それを考慮しなければいけないなぁ
- そういえば今日はいつも日当たりが悪くて寒い場所に行く予定だし、天気予報も冷えると言っているし、素敵な長袖のシャツを買ったし、長袖にしよう!
そんなふうに考えて決定できるかどうかが、大切なようです。
つまり、逆に考えるとそれらの決定の過程のどこかができにくい場合には、その部分に関して支援が必要だと考えられます。
つまり、「天気予報をどうやって知ればいいのかわからない」「天気予報を見たり聞いたりしてもそれがどういう意味を持つのかがわかりにくい」ということから、「昨日のことを覚えてい」「外の状態がわからない」ということや「今日の予定がわからない」とい状態、「服は半袖と長袖がある」ということや「服によって寒さ暑さを調節できる」という知識がない場合、「自分は寒さに強いのか弱いのか」をわかっていなかったり「今日は風邪っぽい、熱っぽい」という体調がわかっているか、体調がわかっていても無理をしようとしてしまわないか・・・。
このようなことについて、できにくいところには何らかのサポートがあれば、自分が快適でいられるための決定ができやすくなるでしょう。
「口にしたこと」が本当の自己決定か?
福祉の中では「自己決定」ということはよく言われることです。
『自分で決めたんだから、それでいいんじゃない』というセリフを、聞きます。
例えば、高齢のAさんとBさん夫婦は、お互いに介護が必要で認知症もあるような状態ですが、介護サービスの利用は断られ、二人でなんとかやっていけるし、このまま二人で家で暮らしたいと言われるような場合に、「介護サービスはいらない」「二人でやっていく」「このまま家で暮らす」という部分について、『本人が望んでいて決定した』ということはよくあります。
たしかに、AさんとBさんはそう言ったかもしれません。
この時点で、客観的に生活に支障が出ているように見えるからと言って、そういうAさんBさんの意向に反して介護サービスを導入し、家の中に入り込んでいったり、施設で暮らすように手配してしまうのは、あきらかに本人の意思が尊重できていないことでしょう。
だからといって、『では、本人が望まれるのでそのように。また来ますね~』と終わらせて帰ってしまうのは、AさんBさんの利益になるとは思えない・・・。
こんな場合どうしたらよいのでしょうか。
介護サービスを使うかどうか、ということを考えることは、私たち福祉・介護の業界で働くものにとっては日常に行われる契約や行動ですが、なじみがない人にはなじみがありません。
ましてや、日本ではまだまだ地域や家庭によっては「介護は家族がするもの、他人に手伝ってもらうなんかできない」と思う場合もあるようです。
また、介護保険の利用については、要介護認定調査の申請から契約手続きまで、さまざまな窓口や人がかかわるもので、それをなじみがない人に理解してもらうには、丁寧な説明が必要なややこしさです。
果たしてAさんとBさんは、きちんと今の日本の介護サービスの使い方やサービス内容が理解できているのでしょうか?
自分たちの置かれた状況や、近い将来の生活の様子やリスクが予見できているのでしょうか?
介護サービスを使う使わないの2択だけではなく、どのようなサービスが使え、他にどのような支援を得た生活が可能なのかどうか、きちんと選択することがわかっているでしょうか?
そして、そのような「選択」する過程のなかで、AさんとBさんは自分の希望や好みを伝えていけばよいということがわかっているのでしょうか?
もし、それらのことが本当はわかっていないのに、AさんもBさんも「なんだかよくわからないが、人の生活に口出しする人がきた。もうかまわないでほしいから、断ろう」ということだけで「いらない、大丈夫」と答えているのであれば、本当にこれが自分たちのための自己決定がなされているといえるでしょうか?
意思決定・自己決定の支援の必要性
自己決定が大切とされる世の中で、本人の発した言葉が実はきちんとした自己決定ではない、ということであれば、いったい何を信用したらいいの?ということになるのかもしれません。
しかし、私は何か生活に影響を及ぼすことを決める際には、支援者はその決定のプロセスについてもきちんと注目しておくべきだと思います。
自己決定は、高齢者や障害のある人だけのものではありません。
私たちみんなの生活のなかで行われていることであり、大きな決定をおこなうべきときもあります。
また、意思決定のプロセスのどこかに支援が必要なことがあるのは、例えば日本語がわかりにくい滞日外国人や旅行中の方もそうですし、震災などで被災した場合に土地勘がない場合は日本人でも判断に支援が必要かもしれません。
子どもの場合は、制度についての理解もできにくかったり、必要な情報を得たり答えたりすることができにくい場合にも支援が必要です。
つまり、その時々や状況によって、さまざまな人に意思決定・自己決定をするための何らかのんが必要になる場合があります。
また、意思決定では本人が、質問でき、拒否でき、判断を留保でき、話を蒸し返せるということが保障された状態が大切です。
私たち支援者は、本人が口にした言葉をそれだけをもって「自己決定」というのではなく、本人がきちんとさまざまな選択肢を理解していること、選んだことの利益やリスクを理解していること、気が変わったり疑問がでたら質問できたり発言できることを理解しているかどうかにも配慮して支援をおこなう必要があると思います。
私はそんなふうに意思決定を支援していきたいと考えています。
(参考:日本社会福祉士会 編集 基礎研修テキスト 上巻)