意思決定と愚行権とあれやこれや ~だって、それが幸せなんだもん~
こんにちは、森のすず社会福祉士事務所 社会福祉士の森保です。三本の木のモリに保健のホと書いて、もりやすです。
突然ですが、最近特に漫画が好きです。
いい大人ですが、漫画が好きです。
漫画代がバカになりません。
最近おわっちゃったけど、大好きなのは「ピアノのムシ」。
専門家ってなんだろうか、どうあるべきか、っていうのを考えました。
おわっちゃって、残念。
あと、テレビドラマにもなってたけど、「フラジャイル」。
岸先生、素敵。これもまた、専門職ってなんだろうか、と考えられる作品。
他にも、「おじさまと猫」は最近ネットで話題になってるのを見て買って、愛犬を思い出し涙。
あぁ、かわいかったな、愛犬。
「はじめアルゴリズム」っていう漫画は、本屋で見かけて買いましたが、これをあと30年早く読んでいたら、もうちょっと数学がなんとかなったかもしれません。
あと、「パタリロ」でしょ、「ゴルゴ13」でしょ、「攻殻機動隊」とかおもしろいし、「カバチ」とか、「深夜食堂」とかとか、好きです。
そんなことを言っていると、かなりの金額を漫画に費やすことになります。
そんな話から、『愚行権』について考えて見ました。
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おそらく、一昔前だと大人が漫画を読むって言うことがあまり良しとされてなかったように思います。
一昔前というか、ふた昔、さん昔、、、かもしれませんが。
まだスマホもなく、ガラケーですらなかったころの話ですが。
電車の中で、週刊や月刊の漫画雑誌を広げている大人を見ると、私自身、子どもながらに違和感を感じていたことがありました。
しかし、私さきほども述べましたが、今では、漫画大好き。
漫画と言っても、いろんなジャンルがありますね。
私はギャグマンガも好きですし、ミステリーも読みますし、歴史ものも読みます。
ゴルゴ13、パタリロ、懐かしいですねぇ。
あまり少女物は読みませんが、少年、青年向けの漫画はよく読みます。
最近読んでいるのは、キングダム、深夜食堂、健康で文化的な生活、おじさまと猫、ピアノのムシ、フラジャイル、はじめアルゴリズム・・・などなど。
この音とまれ、7人のシェイクスピアも、いいですねぇ。
以前は、医龍や、サイコドクターも全巻買って読みましたねぇ。
とはいえ、こういう話を祖父母や両親の前でしたり、漫画を読んでいると「いい大人になって!」と、注意されるわけです。
なぜ、大人が漫画を読むと咎められるのか?
いいじゃない、中にはいろんなことを教えてくれる作品もあるし、純粋に笑えるのもあるし、なんだかんだ無駄にはならない。
いや、たとえ、まったく何のプラスにもならないものだとしても、私が楽しいんだから、いいじゃない!!!
とおもうわけです。
ところで、『愚行権』という言葉を聞いたことはありますか?
簡単にいうと「他人から”アホなことして”、と思われることでも、本人が好きでやってるのならやってもいいじゃない」ってこと。
もちろん、人に迷惑がかかることや、法に触れることはダメです。
誰にも迷惑はかからない、他人からみたらアホなことに見えても自分が好きですること、です。
自分の責任下において、例えば自分の財産で漫画を買って読もうが、ギャンブルにつぎ込もうが、めっちゃ高い〇〇を買おうが、それが別に非合法でもないのであれば、自由があるわけです。
愚かなことを行う権利。愚行権。
まぁ、本人は愚かなことをやっているという意識をもってないことは多いでしょうし、大真面目に楽しみやわくわく感をもとめてやってるんですけどね。
意思決定を本人主体で行う場合、この愚行権の話というのは、ちょいちょい話題になったり問題になります。
例えば、身体によくない食べ物を好んで食べるのも、理想論でいうとやめるべきなのでしょうが、だって好きなんだもの!
タバコもそう、お酒もそう、甘いものもそう、だって、好きなんだもの、おいしいんだもの!
これをやめたら生きている楽しみがなくなってしまうのよ!!っていうもの、ありますよね。
(余談)
私の場合、振り返ると愚かだなと自分で思うのは、「力いっぱい食べること!」です。
先日は、イチジクを40個ぐらい買ってきて、一気に20個たべました。
食べているときはとても幸せでした。
が、あとになって、唇がかゆいたくなり、たいへんなことになりました。
あぁ、我ながら愚かです。でも、幸せだったんです・・・。
人間の意思決定は、常に合理的に行われているものではありません。
そこには、個人の嗜好がありますし、選択肢を選ぶ能力にも影響されています。
他人が好き好んでやっていて、誰にも迷惑をかけていないのであれば、「あれまぁ、面白い趣味をもってるわねぇ」と思うのは自由ですが、そこまでで良いのではないかと思います。
自分自身が、それが楽しくて、場合によってはそれをするデメリットもわかっていて、でも、どうしてもやっぱりそれがしたいのであれば、いいじゃないですか。
人の幸せは、品行方正に、合理的に、清く正しく大人は大人らしく知性を兼ね備えた好みを持つ必要って、さほどないですからねぇ。
いいんじゃないかな、と思います。
何が好きでも。
私は、わたし。
あなたは、あなた。