日: 2018年9月6日

認知症のこと、予防のこと、人生の先のこと ~備えあれば!~

こんにちは。森のすず社会福祉士事務所 代表の森保純子です。

今回は、認知症に関しておもうことをつらつらと・・・。

2025年、団塊の世代が全員75歳になるというので、そのころ、日本の人口に占める後期高齢者・高齢者の割合は、すごく大きくなります。
65歳以上を高齢者と言いますが、2025年には3人に1人が65歳以上。つまり、3人に1人が高齢者。そして、5人に1人が75歳以上の、後期高齢者と呼ばれる年代になっているようです。

今が2018年だから、あと7年ほどでそういう時代になります。

高齢化が進むのと同時に懸念されるのは、認知症の方の増加です。
当然、2025年から先も、人生100年時代の日本ではまだまだ団塊の世代は高齢になっていくわけですから、認知症になる人の数も増えるでしょう。
認知症施策推進総合戦略「新オレンジプラン」では、2025年には認知症の人は700万人になり、これは65歳以上の人口の5人に1人が認知症になっている計算だそうです。

まぁつまり、これからまだまだ高齢者は増加するし、それに伴って認知症になる人も増えますよ、ということですね。
そして、それだけではなく、同時に少子化も進んでいるので労働人口は少なく、介護職として働く人もすくなくなれば、家族という概念も変わりシングルの人も多く、介護の担い手に関してはなかなか、どうしたものか・・・という時代になりそうです。

というわけで、国を挙げて、認知症に関しての理解や早期支援をすることで、できるだけ進行を遅らせ、地域での生活をしてもらえるように体制をつくってます。
それが、地域包括ケアシステムですね。
つまり、地域でたとえ認知症になったりどのような身体状態になっても、いつまでも安心して暮らせるように、本人と家族そして地域住民がお互いに支えあい、必要に応じて医療などの専門職や専門機関、介護サービスや施設などを利用し、暮らし続けていこうじゃないか!というストーリーです。

地域包括ケアシステムを実現できると、主に本人の自助、家族や地域の互助によって、多少なりとも介護の担い手をカバーできますね。介護保険はどんどん保険料があがっており、先行き不透明ですが、その財政を守ることにもつながるでしょう。

また、日本では高度経済成長期以降、死ぬ場所は病院が圧倒的に多く、死ぬのは当然病院で、という風潮でした。

しかし、残念ながら、今後の日本では高齢者の数ほど、病院や施設のベッドはありません。

また、いろんなチューブにつながれて最期を迎えることへの疑問も、一般的になってきました。もちろん、延命については、それぞれがまだまだ悩み、いろんな価値観があり、病院で死にたい人もいるでしょうし、家がいい人もいるでしょうし、どっちが正しいとは言えません。

しかし、事実として、病院のベッドは足らない・・・。

2025年問題の次は、2040年問題があるといわれていますが、これはずばり、多死社会の到来です。
団塊の世代が2025年に75歳になり、2040年には90歳になります。
普通に考えると、平均寿命をちょっと過ぎて、そろそろ人生の最終段階かなと思われる年代になるわけです。

地域包括ケアシステムの実現は、住み慣れた地域(自宅やそれに類する場所)で済み、最期の看取りは在宅医療(在宅医や訪問看護、薬剤師の在宅訪問、歯科医や歯科衛生士、栄養士やリハビリ職も在宅へ)で可能、ということにつながり、病床の少なさをカバーすることにつながります。

まぁそんなわけで、今は、認知症については、特に正しい理解と、正しい理解に基づいてできるだけの支援をお互いにできる状態になろう!ということで、さまざまな取り組みがなされています。

例えば、認知症カフェ(サロン)の展開。
もう珍しくもなくなってきました。各地で開催されています。有名な全国展開しているカフェでも開催されている事例が出てきました。
そこでは、認知症の人もそうでない人もあつまって、いろんな話をしたり、のんびりすごしたり、認知症や生活の相談をすることができます。
認知症カフェの一番の目的は、居場所づくりです。
慣れたところへ、年を取ってからも出かけていく。
認知症になっても、出かけていく。
そこには、自然とサポートしあえる友達、知人、気心知れた人たちがいる。
そういう場所づくりをめざしています。

また、まだまだ予防に関しての啓発活動も多いです。
とくに、頭を鍛える、頭のトレーニングを行うなどの、教材等も作り続けられています。
予防については、認知症のタイプがさまざまあることと、そもそも脳のはたらきというのは多様にわたっていることから、どこまで効果があるのかは謎な部分が多いですが、楽しんで行えているのであれば良いのではないかという気がします。
もちろん、それだけで万全の予防ができるわけでもありませんが。

最近では、認知症になったときに備えた保険も販売されるようになりました。
また、認知症になって事故をおこしたり人に損害を与えた場合の補償の保険やサービスも考えられています。
行政が主体となって、認知症の人が起こしてしまった事故などに対して救済する制度は、神戸市などで進められています。

認知症に関しては、個人レベルでは当然予防への関心が高いものですが、地域づくりという視点からみてみると、認知症になることを前提としたり備えたりすることへの関心がどんどんたかまっているように感じます。

もっとも、高齢になるにしたがって、やはり脳も衰え、脳の働きである認知機能も当然徐々には低下するのですから、診断名として認知症といわれるかどうかは別として、認知機能が低下した状態でも、幸せに心地よく自分らしく生きていける世の中をつくることは、超高齢社会では当然必要なものです。

つまり、何が言いたいかというと、予防に気を付けることはもちろん大切で、特に脳血管性認知症は予防や再発をある程度は心掛けられるものですから、それに取り組み予防することはとても大切。でも一方で、「認知症になっても、まぁだいじょうぶかな」と思える地域社会づくりや、自分の身の回りの準備をしておくこともとても大切だということです。

予防を完璧にできるものではないからこそ、プランBとして、認知症になったときのことも考えて備えることが大切だなって、思うわけです。

そして、そんなことを考えたくなったとき、お役にたてるかな~と思います。お役に立てるように、頑張りたいと思います。