防災リテラシーの必要性
これは、私がまだ若いころからの経験でもあるし、最近の専門職になってからの経験でもあるんだけれど、『もし、大地震が起ったらどうするか?』という問いを、高齢者に尋ねた時の答えは、かなりの確率で
逃げられへんから、逃げずに、このまま、私はこの家で死ぬわ~。
なにかあっても、気にせず逃げてよ。
というような、セリフが返ってきます。
その気持ち、わからなくはないんですよ。
おそらく、私ももう少し年を取り、若い子に聞かれたら、そう答えるかもしれません。
いや、今のままだと、きっとそう答えるようになるでしょう。
でも、そう答えるのは、なぜなのでしょう??
考えてみました。
①大地震だと、逃げ切れないし、助かる気がしないから、逃げるのを考える気もしない。
②住み慣れた家から、離れたくない。離れて生きていける気がしない。
③大地震が来るのは本気では考えていないから、なんとなく終の棲家で最期までいるという要望を考えている。
他にもいろいろ、あるでしょうか。
それぞれをもう少し詳細に考えてみたいと思います。
①大地震だと、逃げ切れないし、助かる気がしないから、逃げるのを考える気もしない。
崩れた家屋や地面、津波が一気に押し寄せ、逃げる間もない…そういう想像をすると、確かに逃げることを考えられません。
おまけに、高齢になり足腰に自身がなくなれば、なおさらです。
杖やシルバーカーを押して、さっさと避難するのは難しいものです。
だからといって、誰かの力を借りると言っても、いったい誰が手を貸してくれるのだろうか・・・そんなことを考えていると、気分も滅入ります。
考えても無駄、来たら来た時、起こったら起こった時。
この家とともに、終わりを迎えるのも悪くない!
そんな気持ちでしょうか。
でも、それは、助かる気がしない・・・すなわち、助かる方法を知っていないから、だけなんかもしれません。
だって、高齢になっても、治せる病気や、症状を和らげる治療法があれば、いや、治療法が確立されていなくても、すこしでも良くなるように医療は受けますよね。
何もせずに、このままで、何の科学や医学の助けも得ずに最期をむかえるんだ!と思い、実行する人は少ないと思います。
なぜ、病気やケガなら、早めに受診する必要性を知っていてそれをある程度は実行できるのに、防災となると、「しらない、むりむり、そのまま死ぬからいい」となるのでしょうか。
もし、その場を逃れられる方法があれば、人は、逃れることを選ぶのではないでしょうか。
つまり、逃げる方法があれば、それを選ぶのではないでしょうか。
②住み慣れた家から、離れたくない。離れて生きていける気がしない。
家というものは、単に建物だけではなくて、いろいろな財産を含み、思い出を含み、愛着もわく特別な場所です。
それを見捨てていくことは、なかなかできない。
人生のさまざまな局面で、安らぎを与えてくれた我が家は、なんとなくいざとなっても守ってくれる場所になるのではないか?
そんな風に思っていると、この家を離れて生きていくのはむずかしく、大切な我が家とともに人生の終わりを迎えるのは、悪くない・・・そんな風におもうかもしれません。
とはいえ、危機が迫ると、逃げることを選択するものです。
大切なことはいくつかありますが、震災に関しては、まず、家の耐久性を調べること。
1981年以前の建築物は、建築基準が旧基準のため、地震への強度が低いです。
家の中の家財、タンスや棚の固定をし、高いところに落ちるものを置かない、というのも大切。
家が安全であれば、家に居ることも、時に有効な選択肢です。
でも、そうではなく、逃げなければならないときには、やはり逃げる段取りをしましょう。
どこへ逃げるのか、どうやって逃げるのか。
それは、一人で逃げるのが心細いならなおさら、事前の準備が必要です。
ハザードマップを確認して、自分の住宅周辺の特性を知ることも大切です。
③大地震が来るのは本気では考えていないから、なんとなく終の棲家で最期までいるという要望を考えている。
来なければいいのですが・・・。
人間は、リスクに関しては、自分は大丈夫!というような根拠のない自信を持ちやすい傾向にあるそうです。
思い当たるところ、多々あり・・・。
なんとなく、自分は大丈夫、と思うから、いろんな不注意がトラブルや事故に発展する場合もあるでしょう。
災害だって、同じです。
なんとなく、起こらない気がする・・・自分の家は大丈夫な気がする、、、私が生きているうちに起こることはない。
そんな風に考えてしまう傾向があります。
でも、どうでしょう、自分だけが特別ラッキーというわけでも、ないでしょう。
理想は理想、現実は現実、可能性のはなしは手間のかかる方に対応できるように考えて置く!というのは大切。
情報を得て活用する力を「リテラシー」と言いますが、防災にも、それに関する情報を得て正しく身を守る行動につなげるための、「防災リテラシー」というものがあります。
「逃げられないから、逃げずに、ここで死ぬわ~」というセリフが、ちょっとした小芝居のように繰り返され、あきらめを含んだ苦笑いで終わるのは、尋ねる側にも、尋ねられる側にも、防災リテラシーが備わっていなくて、「逃げられる可能性をグンと増やせる」ということを理解していないからかもしれません。
人間は、病気に関しては、予防をしようと頑張る人が多いのに、天災となると、特に大規模なものになると、途端に無力を感じ、立ち向かうことも、考えることもしなくなって、「どうしようもない」と思考停止してしまう場合が多いのかもしれません。
でも、防災にとって、学ぶことは、準備をすることの第1歩。準備は、逃げることのベース。たいせつなことです。
防災リテラシーを身につけることは、防災の第1歩。とても大切で、誰にでも必要なことです。
次回「防災リテラシーってなんだろう?」
(社会福祉士 森保純子)