「児童にとっての最善の利益」ってなんだろう
こんにちは。森のすず社会福祉士事務所 森保です。
最近、「児童の最善の利益の実現」と言うことを考える機会がありました。
その中で考えたあれこれを、気ままにつづっておきたいと思います。
「児童の最善の利益」は、『児童の権利に関する条約』の中で取り上げられていて、日本では1994年からこの条約が有効になっているので、「児童の最善の利益」を考えて行っていかなければなりません…みたいな難しい話はいいとして。
「児童の最善の利益」っていったい、どういうものなのか??
こどもにとっての最善の利益を考えるべきタイミングは、いろいろとあると思います。こどもについて、何かの選択をすべきときのすべてがそうだと言えるかもしれません。
最善の利益がえられるように考え行うこととは、例えば、日々の生活のなかの食事一つをとっても、栄養バランスの取れたバラエティ豊かな食事を行うようにすることは、こどもの健康にとって有益なことでしょう。同時に、インスタントラーメンを食べたり、いわゆるジャンクフードを食べる経験も、一概に悪いとは言えないようにおもいます。
日々の出来事に存在するジレンマを、どのように考え、選び、生活していくか。その積み重ねのなかに、こどもが成長する時間が流れているのでしょう。
とはいえ、おそらく「最善の利益」を突き詰めて考える必要があるときは、おそらく、究極の選択のような状態になっているのかもしれません。Aにするか、Bにするか。どちらか一つを選ばなければならないとき、何をもって「最善の利益」を評価して決定すればいいのか。
なかなかむずかしいことです。
何事もそうですが、きっと、究極の選択には、どちらを選んでも後悔がついてくるような気がしますし、完全に正しい答えはないのでしょう。(そもそも、完全に正しいものがあるのなら、選択に悩む必要すらないですね)
もしかすると、大人が、自分の気持ちやプライドや自尊心や見栄や固定概念のためではなく、”その児童の今と未来のため”に何が大切かを考え続けること自体が、児童にとっての最善の利益の実現第一歩ではないかとおもうのです。
必要なときには、こども目線で話をし、また必要な時には、おとなとしてこどもを取り巻く環境を俯瞰的に見る。そして、先回りし過ぎることなく、なにもしなさすぎることなく、過不足のない状態で信じて見て守る。
そんなことが、児童の最善の利益の実現には欠かせないものではないかと思う、今日この頃です。