(雑談)子どもの頃の思い出…苦味しかない
子どもの記憶力や感受性というのは、きっと大人が思うよりも性能がある。
いま大人の私たちだって、昔は子どもだったはずなのに、大人になってしまうと、どこか子どもを子ども扱いしているのかもしれない。いつの間にか。
子どもの頃の思い出は、ぱっと思い出すものは、苦いものばかりだ。
できるだけ古い記憶をたどると、嫌な思い出ばかりが思い出される。
どこかで聞いたことがある。
人間は、楽しい思い出はわすれない、と。
でも、実際のところ私は真逆だ。
苦い思い出ほど、何度も反芻するからか、忘れられない。
一番古い思い出で、一番人生に影響を与えてそうな記憶がある。
もちろん、苦い思い出だ。
あれは、私が5歳を迎える直前だから、4歳の終わり。
保育園に入園した。
長女の私は、年子の妹がいて、専業主婦の母がいて、祖母がいて、父がいる家庭に育ち、田舎だったので、日中は女ばかりの家庭に育った。
でも、田舎だから、もちろん、中心は父。
あまり周囲の子と遊んだ記憶もなく、あのころは子育てサークルなどもなく、他の地域から嫁に来た母は、地元地域の人にしっかり馴染むでもなかったように思う。
家族以外と言えば、家の周りにすむ近所づきあいのあるおばあさんたちが時々尋ねてきたり、内職の仕事をもってくるおじさんが来ていたけれど、私はこのおじさんと会うのがすごく恥ずかしかった記憶がある。
とにかく、あまり他人とふれあった記憶のない私が、保育園に入れられた。
初日、びびって泣いた。
泣いたんだと思う。
何日か、毎朝送って行かれた時には泣いて、行きたがらなかった、んだと思う。
何日間、毎朝泣いたのか、2日程度だったのか、一週間以上だったのか、その記憶はない。
とにかく、朝は泣いて、母親と保母さん(昔はそう呼んでましたねぇ)を困らせたんだとおもう。
私の記憶が明確にあるのは、ここからだ。
ある朝、やっぱり泣いて困らせた日、保母さんは言った。
「明日泣いたら、名札を取り上げます。」
5歳前の子どもながら、これはショックだった。
私は考えた。
『名札を取り上げられたら、困る。何が困るって、きっとお母さんが悲しむ。
私が名札を先生に取り上げられることになったら、お母さんが悲しむ。』
そう思って、ショックを受けていた。
泣いてはいけない、お母さんを困らせるわけにはいかない、悲しませることも。
そして、翌日は、泣かなかった。
母親は、不思議に思いながらもきっとうれしかったかもしれない。
私は、我慢ができた。母親を困らせないために、名札を奪われないように。
その記憶をはじめ、保育園の時の記憶はつらいものが多い。
結局今思うと、担任の先生との相性や、先生の能力、子どもの感受性、子どもの行動力・・・
そのどれもが、うまくかみ合わず、かといって、おそらく先生も親も気が付いていない。
その時から、今に至るまで思っていることがある。
子どもは、その親がどうであれ、親に対しては困らせないようにと思う。
その結果、うまくSOSを出すどころか、自力で何とかしようして、抱え込む。
困ったことにおもうことほど、それを親にいわず、困らせまいとする。
たとえその選択が、余計に困らせる結果になることが大人の目には明らかでも、子どもにはそこまで先を読む経験はない。
だから、大人が、子どもの気持ちを配慮しなければならないのだと思う。
「あのこ、大丈夫っていってるから」というセリフで責任を子どもに押し付けてはいけない。
結局私は、その名札の件をはじめ、いろいろなところで『理不尽』を感じながらも、表現はできなかった。
なぜなら、『理不尽』ということが世の中にあるということをしらなかったし、その概念も言葉もしらなかたから。
ふつふつとした、不満感や不安感が、ずっと残り、その結果、今でも私はあのときの感情はしっかり覚えているし、その担任の名前もしっかり覚えている。顔も、髪形も。驚くほど鮮明に。
5歳にもならない子どもが、そこまで思うこと。
子どもには、そんな複雑な感情を持ち、我慢という抑え込む方法で対処することを、身をもって経験したと私は思う。
もし、大人になった今なら、違う対応ができるだろうとおもう。
もし、子どもが同じようなことを担任に言われたら、私は、その指導の仕方はやめるように要求すると思う。
大切なものを取り上げて、何かをしろと要求することは、脅迫だからだ。
それに幼くてかなわずに屈する経験は、将来には、弱者を力で制圧してよいという考え方に結びつく可能性がある。
モノで釣り感情を抑え込ませるという方法を大人が子どもに行うと、子どもはそれを経験として蓄える。
それは、将来、その子が大人になった時、『自分が経験した教育方法』として、次の世代に行う可能性もある。
だから、今そんなことがあれば、私は猛抗議すると思う。
教育論や子育て論は、時代と共に移り変わってきた。
子どもの人権についての意識は、まだまだそんなに長い歴史を持っているものではない。
家庭の中での教育は、やはりある程度は自分がされてきたことを、繰り返す可能性がある。
過程は閉ざされた密室と同じで、他人の過程の育て方や接し方を、他者がまじまじと見る機会は少ないのだから、ある程度はそうなってしまうだろう。
だからこそ、専門家はきちんとした意識をもち、子どもの人権や生育状態に配慮し、心理状態を考慮し、支援を行う必要があると思う。
介護もそうだが、子育ても、単にその作業・・・ごはんやオムツ交換やお風呂を、家族に代わって、一連の作業としての質で行うのであれば、専門家でもなんでもない。
単なる、ごはん係で、おむつ係で、お風呂係だとしか言えない。
専門家が専門家たる所以は、しっかり継続している教育を身につけていること、技術や知識を身につけ、根拠に根差し、理論を意識し、かつ、プロ意識と良心や自制心を保ち、仕事をおこなっているかどうか、だと思う。
私にとって、私の人生最古の記憶は、苦い。
思い出したくもない。
けれど、思い出す。
福祉の仕事をし始める前も、し始めてからも、頻繁に思い出す。
私は、あの時の私が目の前に現れたら、どう支援をしてあげられるか。
どうすれば、将来、その出来事をずっと思い出しては、苦い思い出に苦しまないで済むように、どう支援してあげられるのか?
その答えを探すことが、一つ、私が追いかけていきたいことだ。
そしてもう一つ。
そんな思いを抱えたまま大人になって、ときどきやりきれない感情にのっとられそうな気持を、どうすればいいのか、考え、支えようとすることだ。