森の奥底

『足の小指』

こんにちは、森のすず社会福祉士事務所 社会福祉士の森保です。

4月もあっという間に1週間が過ぎました。例年、4月1日はエイプリルフールでいろんな嘘が飛び交っていましたが、今年は新元号発表があって嘘ついている場合ではない!という雰囲気だったからか、これまでとは全く雰囲気の違う4月1日でした。

あれから、もう、一週間。「そっか、来月から、令和かぁ」と思うこと、一週間。平成という時代が終わるのが、寂しくも思いますし、もっと遠くに思える昭和…。なつかしさはどんどん濃くなるばかり。時が過ぎるのは早いものです。

さて。ところで。

タイトルの『足の小指』。四月だし、新年度だから、何か始めようと思ったのですが、昨年から始めたブログも途切れ途切れなので、今年はきちんと書こう!と思って…ブログのテーマを聞いてみました。

「何について書いたらいいだろう?何かテーマとか、言葉とかもらえたら、それについて書く!」

「じゃぁ、足の小指」

「・・・。あ、あしのこゆび、ですか、、、」

そういうやり取りから得た、「足の小指」

一般に、足の小指ってぶつけると超痛いらしいですね。タンスの角にぶつけると、ものすごく痛い足の小指。それはそれは、もう、とんでもなく痛い、足の小指。

痛いらしいですね。

実は私は、その経験があまりありません。足の小指を、タンスの角や何かの角にぶつけたことはありますが、痛さは他のところをぶつけるのと、大して変わらない。別に、特別記憶に残るほど痛い、と言うことはないように思います。

果たして、私は、他の人ほどの強さでは足の小指を角にぶつけていないのか?それとも、私の足の小指は痛みに強いのか??どっちかかと思います。

そういえば、私は痛みには少し強いタイプだと思います。人の痛みと強さを比べることができないので何とも分かりませんが、たぶん、きっと。そして、痛みがちょっとズレてるところもあるように思います。

たとえば、かき氷。

「かき氷」+「痛い」とくれば、おそらく、大半の人が「頭がキーンと痛い」だと思います。

「かき氷」+「痛い」→「頭がキーン」

でも、私の場合、

「かき氷」+「痛い」→「喉がググっと」

なのです。

おそらく、頭がキーンとなるメカニズムはわかってるのではないかと思うのですが、(余談ですが、調べてみると、この痛みを『アイスクリーム頭痛』というのだとか。アイスクリームでも、なります??なるんですか?そうですか。)私はなりません。そのかわり、喉が締め付けられるようにいたくなります。

子どものころからそうです。

痛みの原因を想像することが子どものころから好きでしたが、かき氷を食べた時ののどの締め付けられるような痛みは、当然、喉が急激に冷やされて、そのあたりの何かがどうにかなっているからだ、ということを見当づけていました。

ところが、大きくなるにつれ、どうやら、一般的には喉ではなく、頭が痛くなるのが普通らしい・・・ということを知りました。

え?なんで?ほかの人は、頭でかき氷をたべてるのか??どうやって食べたら、頭が痛くなるんだろう??わけわからん・・・。という、気分です。今でも。

ちなみに、その後、機会があるごとに、「かき氷をたべるとどこがいたくなるか?」と聞いていますが、これまで2,3人が「のど」と答えてくれました。分かり合える人がいるというのは、嬉しいものですね。(でも、誰がそうだったか、忘れましたが)

で。足の小指。

何が言いたいかというと、つまり、ちょっとなんだか、いわゆる一般的な間隔と、私はずれてるんじゃないか、と思うのです。なので、基本的には、「かき氷たべて、頭がいたーい」という人のリアルな痛みは想像できにくいのですが、「痛いんだな」ということは、頭で理解しています。場合によると、喉が痛いという説明ができない場合には、「そだねー、あたま、いたいよねー」と少し棒読みかもしれませんが、その場の空気に合わせることもあります。足の小指も同様です。正直に言うと、これまで「そうそう、足の小指、いたいよねー。すっごい、いたいよねー」と返事をしたこともあろうかとおもいます。

でも、実際のところは、さほど、解ってはいない。

とはいえ、そつなく返事はできる。

よって、その場の空気を変に乱すことには、ならない。

たかだか足の小指の話や、かき氷たべて頭がキーン、の話ですが、応用的に考えると、これは結構おもしろい話だと思います。

つまり、私自身は、いわゆる一般的な感覚と、自分の感覚は、乖離があると理解できています。「メタ認知」が、自分の認知していることは、他者の認知とはちょっとちがうよ、と、教えてくれている状態です。その情報をもって、私は、一般的な意見である「足の小指」に関する話を基準として、自分の感覚を補正しています。『あぁ、私にとっては、さほど特別に痛いわけではないけれど、一般的にはこういう場合は、すごく痛いんだな』という感じで。こういう例が、2、3あると、自分の感じ方と一般的だと推測されるものとの位置関係を把握することに、だんだん慣れてきます。

で、時と場合によって、使い分けています。

いや、足の小指をぶつけたときに、痛くない分にはいいんですけれど。たとえば、かき氷を食べていて、いきなり喉を押さえて苦しみだすと、一緒に食べている人はびっくりすると思うんですよねぇ。だから、そうならないように、涼しい顔して、喉を温めようと頑張ってます。親しい人の前では、「うおぉ、、の、のどが、、、く、くるしい、、、」とやっていますが。

ま、そんなわけで、ちょこっとしたことですが、認知を補正する、という経験はできるわけです。そして、補正するのは可能だけれど、窮屈だなぁと感じるし、のびのびと自分の喜怒哀楽を表現できる場所は大切だな、とおもうわけです。

おそらく、この経験、発達障害や精神障害のある方の個別支援をする社会福祉士としては、大切な経験だとおもいます。

では、また、次回。何かのテーマで。