日: 2019年1月17日

1.17と、これからの。

こんにちは。こんにちは。森のすず社会福祉士事務所 所長の森保です。

今日は1月17日。
あれから24年。

私は神戸市からは少し離れた加古川市市内で、24年前の1月17日を経験しました。
大きな被害が出た地域の方と比べると、受けたショックはわずかなものかもしれませんが、それでも毎年この日になるといろいろと思うことがあります。そして、あの日以来、小さな揺れにも敏感になりました。
災害は、思うよりも人の心に深く突き刺さり、傷跡を残すものだなと思います。

 

すこし、つらつらと思うことを書きたいと思います。

 

「想定外」という言葉でしか言い表せないようなことが、あるんだな、と振り返ってみて思います。
たしかに、きっとあの時、ほとんどの人が、阪神神戸エリアにあんなに大きな地震が来るとは思ってもいなかったと思います。
だから、街の機能がストップして、建物がなくなって、病院や交通網や行政も、何もかもが平常通りには動かなくなってしまうことなんて、想像していなかったと思います。

少なくとも、私は当時はのんきな大学生で、未来のことなんてさほど考えてはいませんでしたし、いろいろとその時を過ごすので精一杯ではありました。地震や災害への備えなんて、思いつくことはありませんでした。

そんな中、震災は起こりました。

 

その前日、何をしていたかは思い出せません。
でも、当日のことはよく覚えています。

揺れていた最中に考えていたことも、思い出せます。

 

 

あれから24年。

 

私は今、福祉に関する仕事をしています。
24年前は、商業系の大学で、経営マネジメントを学び始めた学生でした。
福祉のことは、あまり考えたことがなかったと思います。

関心があったのは、ITと教育でしょうか。

 

その後、私はITから教育へ、そして福祉へと進んできました。
福祉のニーズはさまざまで、どの場面でも「まだまだ」というのを感じることがあります。

 

そして、防災に関する取り組みも、まだまだ啓発の途中です。
特に、福祉的視点が必要な防災や避難に備えた取り組みは、まだまだこれからです。

1995年は、バブル経済が終わって数年後、まだ介護保険が始まる5年も前。
その後24年たち、日本では介護保険が19年目を迎え、高齢化社会はどんどん進み超高齢社会となり、1995年当時と比べると、福祉の視点も必要性が認識されてきていると思います。

それでも、まだ、足らない。現状、まだ、いろいろ足らない。

いざという時の備え。

支援が必要な人への、災害時の支援の必要性は、きっと多くの人が理論としては理解をされているのではないかな、と思います。

でもまだまだ、「みんなで逃げるって家族だけで精いっぱい、自分だけで精いっぱい。そんななか、、、高齢で歩きにくい人や、寝たきりの人と、どうやって逃げたらいいの?余裕があるとは思えない」という思いはあり、実際に今もし事が起これば、どうなるのか。
残念ながら、私も自分の家の周囲に、どういう人が住んでいて、どこの家に避難に支援が必要な人がいるのか、知りません。
なかなか、そういうことを知る機会もありません。

みんなで逃げて、みんなで生き延びる、という地域社会はまだできていないというのは、実感します。

 

でも、諦めたら、そこで終わり。

何ができるのか、考えることに意味はあるとおもいます。
リスクを知ること、備えを知ることは、次に行動を決めることにつながります。
無理だと考えて、そこでとまってしまったら、それ以上は進めません。
時間がある限り、一歩でも、すこしでも、進め続けることが大切に思います。

 

人の命は有限ですが、いつ終わりがくるのかは、神様だけがわかることかもしれません。
とはいえ、災害にあって命を落とすことは、人間個人が老いて枯れていくように命の灯が消えるようなこととは異なります。

災害は、環境や生活習慣や備えで、生存できる可能性を高めることができるものです。
運命だから、その時は受け入れる、というようなことではなくて。

 

もっろ考えていきたいと思います。
そして、これからも、地域づくりにかかわっていきたいとおもいます。

いくつになっても、健康でなくても、歩けなくなっても、認知症になっても、何があっても、住みやすい街となるように。

時間のある限り、取り組んでいきたいと思います。