森の奥底

やる前から諦めないこと。防災も交通事故ゼロも。

常識という思い込みや経験に囚われて、できるわけないと思い、考えることすら知らぬ間に放棄していることは多い。これって、すごく社会にとって、未来にとって勿体ない。

こんにちは、森のすず社会福祉士事務所 森保純子です。社会福祉士です。
社会福祉士なので、社会に関することに関心があります。
つまり、人の暮らし全般です。

ところで、車の中のラジオで、風見しんごさんのJAのCMが聞こえてきました。途中から耳に入ったので、どんな始まり方なのかはわかりませんが、交通事故を無くそうと呼びかけるCMでした。

聞こえた部分の要点をまとめると…

小学校に入って、道路を歩いて登校するお子さんがいる保護者に、「通学路を一緒に歩いて、交通の危険な場所は、などもお子さんに危ないこと注意をすることを教えましょう。お子さんも、気を付けなければと思ってくれるはずです」という訴えで、交通事故を無くそうという話。

風見しんごさんは、小学生のお子さんを交通事故で無くされたんですね。上記の訴えの前には、その交通事故の様子を風見しんごさんが語るナレーションが入っていますが、聞いていると、親の立場としてはそのシーンを回想する文章は読むのが辛いのではないかと思いました。

なぜなら、そのシーンは、他人の私が聞いていても、悲しくなる、悔しくなるような場面のようだったので。

交通事故は、歩行者側が交通ルールを守っていても、車が突っ込んできたら悲しい結果辛い結果につながります。
ルールを守ることはもちろんですが、それ以外にも危険な個所や注意の仕方を身につけておくことは大切です。
もちろん、それでも、完璧に命を守れるかというと、そういうわけでもないのかもしれませんが。

CMの終わりには、「JAと風見しんごは交通事故ゼロの社会をめざします」というような言葉で締めくくられていました。

交通事故ゼロの社会

先日も大きな事故が連続して起こりました。
ルール違反もしていない、何の落ち度もない歩行者が犠牲になりました。
交通事故をゼロにすることは、おそらく難しいでしょう。
それを死亡事故や人身事故に絞っても、やっぱり難しいでしょう。

注意していても、起こってしまう時がある。
人間がやることだから、うっかりのミスも、防ぎきれない部分はあるように思います。

でも、一人一人が、もっと注意をすれば減らすことはできるでしょう。
減らして、減らして、減らして・・・
その積み重ねがゼロにつながるんだと思います。

私は今、兵庫県内での取り組み「防災と福祉の連携促進モデル事業」に関わっています。
そこでは、「誰も取り残さない」を合言葉に、地域の全員が逃げて生き延びる仕組みをつくろうと、取り組みを進めています。

大抵の人は、地震が起きた時、大洪水が起きた時、”すべての人”が逃げて生き延びることは無理だと言います。
たしかに、状況にもよるんだとおもいます。
でも、いろんな工夫で、被害にあう人を減らして、減らして、減らして・・・そういうことは可能だと思います。

防災と福祉の事業の中では研修や講習も行いますが、その監修をされている同志社大学の立木先生は、災害でイメージする地震や津波は「ハザード」であり、それそのものが人の生活や生命を奪うものではなく、それが「社会の脆弱性」上に起こることで、生活や生命が奪われる『災害』になる、と話されています。

社会の脆弱性を克服できれば、奪われる命は減るでしょう。

天災と交通事故は、その発生原因は、自然の起こすものなのか、人の生活の中で人のミスで起こるのかは違います。
でも、どちらも、人の社会で起り、人の生活や命を奪うものです。
建造物などのみなおし、機能の向上、そして人々の心がけと備えや日々の行動によって、防げるものは大きいと思います。

もしそれが難しいのだとしたら、一番の敵は「でも、どうせ、無理でしょ」という気持ちなのかもしれません。

私たちは、交通事故はたくさん起こって、年間にかなりの人がなくなるもの、災害も起こるときは仕方ないし、助からないのも時にしかたないもの、とあきらめてはいないでしょうか。

常識という思い込みや経験に囚われて、できるわけないと思い、考えることすら知らぬ間に放棄していることは多いものです。
これって、すごく社会にとって勿体ない。

目指そう、交通事故がなく、災害がおきてもみんなで生き延びられる社会を。

私自身、もう一度しっかりと、振り返って、そして将来を見て、取り組んでいきたいと思います。

 

果てしなくても、きっといつか。