時が過ぎる感覚と過ぎた時間の感覚
こんばんは、森のすず社会福祉士事務所 社会福祉士の森保純子です。
最近、新型コロナウイルスの話題が絶えませんし、収まる様子も見られませんが、インフルエンザもまだまだ猛威を振るっています。
不要な外出は控えて、家でのんびり、好きなものでも食べながら、オンデマンドで映画を見る!というのが今週の楽しみでした。
徒然なるままに・・・
今週見たのは、「マイノリティ・リポート」と「ビューティフル・マインド」の2本。
「マイノリティ・リポート」は2002年 アメリカの作品。『殺人犯になると予言された男が、近未来世界で決死の逃避行を繰り広げるSFサスペンス!』だそう。はじめて見ました。
「ビューティフル・マインド」は2001年 アメリカの作品。『ある天才数学者の苦悩に満ちた半生と彼を支えた妻の愛を見つめる』という解説がありました。15年ぶりぐらいに2度目です。
マイノリティ・リポートは、主役がトム・クルーズですが、トム・クルーズというと、私の中ではやはり代表作は『トップ・ガン』です。中学生ぐらいの頃でしたが、トップ・ガンのサウンドトラックを毎日聞き、耳コピ―して歌えるようになり、その成果は、高校1年のときのリスニングテストで満点を取るということにつながりました。
(それに油断してしまい、その後の英語の成績は散々でしたが・・・)
トップ・ガンは1986年の作品。日本で公開されたのもきっと80年代でしょう。昭和61年ごろといえば、何してましたかねぇ。
トップ・ガンですら、振り返るとついこの間・・・とは言いませんが、でも、なんとなく、今見ても色あせてないような気がします。
どうなんでしょう。
ビューティフル・マインドを何となく2回目を見て、「そういえば、いつの作品だったんだろう?」と確認し、何歳の頃にみたのか逆算し、もうかれこれ20年近く前の作品であったことに、びっくりです。
実話ベースのヒューマンドラマなものなので、今見ても、まったく何の違和感もなく見れますし、時代の移り変わりを感じる要素はないので、なおさら、初めて見てから15年以上の時が過ぎていることにびっくりです。
大人になればなるほど、年をとればとるほど、時間があっという間に過ぎますね。
1月は行く、2月は逃げる、3月は去る・・・早く過ぎるよ、と言われても、小学生ぐらいのころは、まったく実感はありませんでした。
寒い中、毎日学校に行かねばならない、体育でマラソンをしなければならない、いっそのことそれならもっと、時間よ一瞬ですぎてくれ!!と思っていましたが。
それから、時が経ち、大人になり、いい年になり、今になって「時間よ、すぎないで」と思う自分がいます。
おばあちゃんがよく口にしていた、「時がすぎるのは、はやいなぁ」という言葉は、今では心の底から同意できます。
その昔、私がこどもだったころ、大人たちが嬉しそうにみている、昔の歌手(いや、その当時も歌手だったけれど)の、いわゆる懐メロの番組は、子どもから見ると古い、いまいち面白みのないものでした。
が、最近、20年、30年前の音楽を聴いても、まったく何の違和感もなく、むしろいい曲だなぁ!と新鮮な気持ちで聞いていることが多いのですが、これって、どうなのでしょう。
今の子どもたちからみると、昔の私のように、思っているんでしょうか。
それとも、もしかして、コンテンツはそう変化しない時代になっているのでしょうか・・・
私が、年を取り、振り返る時間は、すぐに昔の時代へ気持ちが飛んでいき、まるで今のように記憶がよみがえっているだけなのでしょうか。
時間と、時間を感じる感覚と言うものは不思議。
近未来を描いたSF映画と、実話の映画を見て、また、過去の自分自身の思い出なんかも思い出したりして、記憶や概念というもののなかに流れる時間って、けっこう曖昧な、自分に都合よく構成されているのかもなぁ…と思いました。
それが実際とは異なっていたとしても、自分の考えの中、記憶の中、感覚の中ではそうなのだなとも思う経験。
たまには、旧作を見直してみるのもいいものですし、まだみぬ旧作を見てみるのもいいものだなぁと思いました。
とはいえ、やはり映画館で2時間ほど、ポップコーン食べながら見る映画がいいなぁとおもうので、早くインフルエンザや新型コロナウイルスがおさまってくれると良いと思います。早く、安心して過ごせるようになりますように。