日々思っていることを書いてみよう。
『こどもまんなか社会』という言葉は、なんとなくイメージの言葉としてはわかるのだけれど、実際のところ、大人は何をすべきなのか??と言うのがなんだかいまいちよくわからない。
こども家庭庁の『こどもの意見聴取と政策への反映』の欄には、以下のような記載がある。
こども政策を推進するにあたり、何よりも大切にするのは、こどもや若者のみなさんの意見です。こどもや若者のみなさん一人ひとりの意見を聴いて、その声を大切にして、こどもや若者のみなさんにとって最もよいことは何かを考え、こどもに関する取組・政策を社会のまんなかに据える「こどもまんなか社会」の実現に向けて、こども家庭庁は、…
こどもと言うのは、生まれてから18歳までの人間を指すわけだけれど、もちろん、彼らには彼らの意見があるし考えている事はあると思う。
しゃべれるようになったばかりの幼児と、来月18歳に到達すると言う17歳の終わり頃の子供では、考えていることや考えている範囲や意見は全く違う。
当たり前の話。
『こども』と言う年齢の範囲や、場合によっては、大学生位までは、成長や発達の上り坂の途中にいる人たちであると言う事は、接する大人側がきちんと理解をしておかないといけないと思う。
そして、その一般的な年齢層の考える力や、推測する力を知るとともに、多様な発達状況があると言うこともわかっていないといけないし、それらに影響及ぼすのは、社会のあり方やこれまで育てるのに関わってきた人のあり方もあると言う事は知っておかないといけない。
いろんな政策やいろんな法律の多くは、人間が良心的で前向きで、自己実現に一生懸命努力して、現実に生きようとする人間像が前提にあるように思う。
実際のところ、そういうわけでもない。
こどもに至っては、2歳と4歳はイヤイヤ期だと言われたり、思春期になると反抗期にもなり、それ以前にギャングになる世代もあり、個人差は大きく、精神的な発達に関してはいろんな変化が起こって当たり前の20年間を過ごす。
自分の能力は、万能だと思うこともあるだろうし、そうでは無いことを知って悲しいと感じることもあるかもしれないし、自分が人よりも劣っていると言うことがわかる日もあり、他人をねたましく思うこともあるかもしれないし、他人よりも優れていることを自慢に思うこともあるかもしれない。
誰かが大嫌いになったり、誰かのことがいなくなればいいと思うこともあるかもしれない。
もう将来なんかどうでもいいと思ったり、勉強なんてしたくないと大半の子が思うだろうし、楽しいことだけをしていたい、学校には行きたくない、親は面倒を見てくれて当たり前で、欲しいものを買ってもらえるのも当たり前かもしれないし、逆に親は何も関心を向けてくれず、誰も自分に関心を向けてくれず、何を望んでも叶わないと言うことを経験している人もいるだろう。
人間が述べる意見は、その人の全てをポジティブに表出しているわけではないと思うし、本心を常に述べるわけでもないし、そもそも経験によって想像できることや言葉にできる事は限られてくるし、偏りはあると思う。
子供なら、なおさら。
子供が行きたくないと言っているから、それを尊重していかせない。
そういう選択が必要なこともあるだろうし、それが正しいこともある。
子供が欲しいと言うから、それを与える。
それがふさわしいこともあるだろうし、良くない結果につながることもあるだろう。
子供側はできれば遠慮なく大人に言えばいい。
したいこと、欲しいこと、考えていること、嫌なことも良いことも。
言ってくれたら、1番良いけれど、実際のところは難しい。
子供も心配をかけたくないし、これ以上悪化させたくないし、守ってもらえるとも思っていないかもしれないし、どう言っていいのかもわからないかもしれない。
結局『相談してくれたらいいんだよ』という大人の声掛けは、「それが出来たら苦労しない」ということになるのではないかと、かつて子どもだった私は思う。
大人側の責任は、こどもを真ん中に置き権利を守る社会だと言うのならば、その子供が大人になった時にも、その子供自身が自分自身の権利を守れるように、考えて欲しい。
その子供が大人になった時、その人が子供だった時代に行ってきたことの積み重ねは、自分の大人としての環境につながってくる。
行きたくないと言うのなら、では他に何があり得るか。
欲しがるものを与えることが、いずれマイナスになってしまう事はなく、プラスに働くのか。
それを考えるのは、大人側の責任だと思う。
親でも、先生でも、政治家や裁判官でも、他人の人生の責任を背負って、人生を代わりに生きてあげることはできない。
10年先20年先の、今の子供たちが、大人として地球のどこか場合によっては、宇宙のどこかでしっかりと生きて、幸せだなぁと思う人生を過ごすために、今から何ができるかを考えるのは大切なことだと思う。
そう思うのだが、では実際のところ、何をどう変えて行けるのかは難しい。