【10連休企画10連ブログ⑨】こどもの権利のはなし~成長をみんなで見守る社会が大切~
こんにちは、森のすず社会福祉士事務所 森保純子です。
連休9日目は、5月5日で『こどもの日』。
10連続ブログのテーマも、子ども関連で『こどもの権利のはなし』にします。
■
こどもの日といえば連想するのは、鯉のぼり、柏餅、ちまき、柱の傷、屋根より高い鯉のぼり♪
私は姉妹しかいないので、鯉のぼりを買ってもらった経験はありませんが、友達の家には弟さんがいらっしゃって、大きな鯉のぼりを、5月が近づくと揚げていました。
田舎で育ったので、どの家も庭があり、男の子がいる家では、鯉のぼりがはためいていました。
雨の日などは揚げずに、鯉のぼりが畳んであるのですが、それを拡げて遊ばせてもらった記憶もあります。
小学生ぐらいの子どもなら、口のところに身体が入る大きさでした。
女子が思いつく遊びは、魚の中に身体がはいったら、下半身は魚にして、『人魚ごっこ』でしたね。
私にも無邪気な頃があったんだなぁ、と思い出します。
さて。
子どもは、人間としての尊厳は、大人と変わらず持っています。ひとりのこどもは、ひとりの大切な人格をもった存在です。
一方で、やはりこどもには大人とはずいぶん違う面もあり、保護しなければならない面があります。
それは、年齢などとともに、保護の方法や度合いは変わってくるものですが、保護されるべき存在であるという面があります。
だれが保護するのか・・・当然、大人です。
こどもの権利は、こどもが成長して大人になっていく過程で、大人との違いにも配慮された権利を持っています。
大人が、このことを理解しておくというのは、大切なことだと思います。
『子どもの権利条約』というものがあります。日本も批准しています。ユニセフのページを見てみると、以下のように説明されています。
「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」は、子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められた条約です。 18歳未満の児童(子ども)を権利をもつ主体と位置づけ、おとなと同様ひとりの人間としての人権を認めるとともに、成長の過程で特別な保護や配慮が必要な子どもならではの権利も定めています。前文と本文54条からなり、子どもの生存、発達、保護、参加という包括的な権利を実現・確保するために必要となる具体的な事項を規定しています。1989年の第44回国連総会において採択され、1990年に発効しました。日本は1994年に批准しました。(日本ユニセフ協会https://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig.html)
この条約のなかで示されている『子どもの権利』では、子どもの4つの権利として『生きる』『育つ』『守られる』『参加する』を挙げています。
命が守られ、教育や医療などを適切に受け、学んで友と遊んで成長し、暴力や有害な労働から守られ、意見を言ったり団体をつくって生活や社会に参加することが、こどもの持つ権利です。
どれも、アタリマエといえば、アタリマエ。
しかし、実際のところ、どのこどもも、それが守られているわけではありません。残念ながら。
『しつけ』というと、育ちを支援しているように思えますが、実際はその言葉をつかった虐待である場合、悲しい事件となりニュースで知ることがあります。
私は、『しつけ』とは、社会でお互いに気持ちよく暮らしていくためのマナーを覚えることだと思います。迷惑をかけない、というだけでなく、謝る、譲り合う、我慢する、相手を許す、相手を認める、お礼を言う、自分の意見を適切に言う、人と自分はちがうけれどみんな違ってみんないい・・・。みたいな。
決して、『悪いことをしたら、殴られる。機嫌をそこねたら、殴られる。⇒大人になったら、こどもに機嫌を悪くされたら殴っていいんだ』という経験をさせることではありません。大人の機嫌を悪くしたら殴られたり、ご飯を食べさせてもらえなかったりすることで、しつけはできません。
私が思うに、しつけとは、人間が社会で暮らしていく中で、自分自身とお互いにお互いを尊重する優しさとそれを発揮するための強さを、こどもの年齢や状況にあわせて教えていくことだと思います。
子どもは、のびのびするのが、子どもらしさ。
子どもが、成長過程で認識できることは、自分と関係が近い保護者の2社関係の社会から、徐々に広がり、最終的には自力で社会で生きていけるまでに広がります。
その中で、のびのびさが、人間関係にぶつかってしまうこともあるでしょう。
電車の中では大声は出さない、お店の中では走らないなど、食事中は排泄物の話はしない(これ、介護職を経験すると違和感なくできちゃうので、私も気をつけねば
、、、とおもいます)などなど。
だいたい優しく、危険が迫った時には厳しく、命が危ない時には命を守ることを優先に、応じていく必要があると思います。
難しい場合には、難しいですけどね。
ただ、それを、例えば保護者だけがすべきか、というと、それはそうではないように思います。
それを見守ったり、サポートしたりする社会の在り方は大切です。
そして、よく考えてみると、例えば私が子どもの頃は、『子どもの権利条約』なんてありませんでした。叩かれる教育は、めずらしくないどころか、普通でした。学校では先生が教科書やほうきで頭をたたくなんてこと、日常的でした。「大きな教師用の三角定規の角で叩かれると痛い」という経験談をきいたこともあります。(そんなもんで叩かれると、出血するだろうに・・・)家では、父親が強く、母親子どもには強く、おしりをたたかれる、食事を抜かれる、家を放り出される、暗い部屋に閉じ込められる、ということはありましたし、友達の家でも聞かれました。もちろん、そういうのが全くなく、今の時代と同じように個を尊重され、話をして聞かされ教育された家庭もあるとは思います。
何が言いたいかと言うと、家庭のしつけは、他者の目が届きにくいところで行われ、やはり経験したものから方法を得て、それを子育ての際にやってしまうことがあるということは、子どもや家庭をサポートするときに配慮すべきことだと思っています。
こどもは、のびのび、試行錯誤しながら、育っていく権利をもっています。
それをサポートするのは、保護者であり、学校であり、地域社会と、国の制度。
例えば虐待をしてしまった親は、たしかに責められ責任を問われる必要はあるとおもいますが、そこから先、同じことにならないように何をどうすべきだったのかは、大人側が知り学ぶ支援も必要だとおもいます。
こどもの権利を守るのは、大人。
その大人が、子どもの権利を守れる方法を学び身につける機会が大切。
積極的なパパ・ママは、産科などが主催する子育て教室に通い、育児雑誌や講演会などで知識やノウハウを得る機会も持てると思いますが、世の中そんな家庭ばかりでもなく。
でも、生まれるこどもは自ら家庭環境を選べずに生まれてきます。
必要な支援が必要なところに届き、こどもの権利が守られる環境をつくることはとても大切。
社会福祉士は、近年、たとえばスクールソーシャルワーカーとして、学校の人間関係等環境の調整のために着任するようになっています。家庭、学校、社会に広くこどもの権利が守られるよう働きかけられる力を、私も社会福祉士として身につけたいと思います。
こどもも、おとなも、機嫌よく暮らしていける社会がいいな、とおもいます。